ヨハネス5世(読み)ヨハネスごせい(英語表記)Johannes V Palaeologus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス5世」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス5世
ヨハネスごせい
Johannes V Palaeologus

[生]1332
[没]1391.2.16.
ビザンチン皇帝 (在位 1341~76,79~91) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 5世とも呼ばれる。父アンドロニクス3世の死後,9歳で登位。母アンナとカンタクゼヌス家のヨハネス (のちのヨハネス6世) の摂政下にあった。 1341年カンタクゼヌス家のヨハネスは反対皇帝を名のり,6年間の内乱後,47年共治帝となり実権を奪われたが,54年ベネチアと同盟してヨハネス6世の地位を剥奪,ようやく実権を掌握。対外的にはオスマン・トルコのバルカン侵入と定着が本格的となり 66,69年2度にわたり西ヨーロッパに東西両教会統一を条件に援助を求めたが,実効はないままに,71年にはマケドニアの宗主権をトルコに奪われた。 76年息子によって廃位され,投獄されたが,79年トルコの援助のもとに復位。首都コンスタンチノープルの防備を固めようとしたがトルコによって押えられ,87年にはテッサロニカもトルコ領となった。国内的には絶えざる宮廷の陰謀と不安な政情のうちにあり,91年マヌエル2世に帝位を譲位

ヨハネス5世
ヨハネスごせい
Johannes V

[生]?. シリア?
[没]686.8.2. イタリア,ローマ
シリア出身とされる第82代教皇(在位 685~686)。助祭だったときに,第3回コンスタンチノープル公会議(680~681)に出席する教皇使節団の一員として教皇アガト(在位 678~681)により派遣された。この会議ではキリスト単意説異端と結論づけられた。教皇ベネディクツス2世(在位 684~685)の後継者として 685年7月に登位した。勤勉で寛容な人柄が知られ,貧しい人々のために惜しみなく施しを行なった。在位中は健康状態が悪く,ほとんど功績を残していない。

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