中ソ友好同盟条約(読み)ちゅうソゆうこうどうめいじょうやく

精選版 日本国語大辞典 「中ソ友好同盟条約」の意味・読み・例文・類語

ちゅうソゆうこうどうめい‐じょうやく チュウソイウカウドウメイデウヤク【中ソ友好同盟条約】

一九四五年八月に中華民国国民政府ソ連の間に結ばれた条約ヤルタ会談でアメリカ・イギリスがソ連に与えた了解に基づくもの。対日戦の相互援助、対日単独不講和、長春鉄道・旅順の共同経営・使用、大連の国際自由港化、満州新疆の中国宗主権承認、日本降伏後のソ連軍の中国撤退を約した。一九五〇年に廃棄。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中ソ友好同盟条約」の意味・わかりやすい解説

中ソ友好同盟条約
ちゅうそゆうこうどうめいじょうやく

1945年8月14日、ヤルタ秘密協定に基づきソ連と中国とがモスクワで調印した条約(発効は同年12月3日)。中ソ両国は、対日戦争の勝利まで、相互援助、単独不休戦・不講和を誓い、日本の再侵略に対する保障などを約した。なお、交換公文で、ソ連は道義的援助と軍需物資その他の物質的援助を、中国の中央政府たる国民政府にのみ与えることを改めて約束した。この条約はアメリカが仲介者となって中ソ両国間の交渉斡旋(あっせん)、日本降伏の前日に成立した。49年10月1日の中国革命の勝利で本条約は事実上失効し、50年2月、新中国とソ連との間で締結された中ソ友好同盟相互援助条約がこれに代わった。

[宇佐美滋]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中ソ友好同盟条約」の意味・わかりやすい解説

中ソ友好同盟条約
ちゅうソゆうこうどうめいじょうやく

1945年8月 14日にソ連と国民政府の間で結ばれた条約。同年2月のヤルタ協定がソ連の対日参戦に伴う中ソ関係を規定した結果,訪ソした宋子文との間で締結された。日本軍国主義の復活に備え両国が 30年間同盟を結ぶことを規定。同時に交換覚書,付属協定により,ソ連は国民政府を支持,援助し,満州に対する中国の主権を尊重,新疆などの内政問題に干渉しないこと,中国長春鉄道 (東支鉄道南満州鉄道) ,旅順港は両国の共同管理下におき,大連港は自由港とすること,中国はモンゴルの独立を尊重することなどが取決められた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「中ソ友好同盟条約」の解説

中ソ友好同盟条約
ちゅうソゆうこうどうめいじょうやく

1945年8月,中華民国とソ連との間に結ばれた条約
ヤルタ会談での了解にもとづいて,対日戦における相互援助や単独不講和,長春鉄道・旅順の共同経営使用,大連の30年間国際自由港化などを規定した。

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世界大百科事典(旧版)内の中ソ友好同盟条約の言及

【中ソ友好同盟相互援助条約】より

…翌50年1月には中国の周恩来首相も会談に加わり,50年2月14日ようやく,毛沢東,スターリン両首脳立会いの下に,期限30ヵ年,全文6ヵ条から成る〈中ソ友好同盟相互援助条約〉の調印がおこなわれた。この条約は,4年前の45年8月14日日本の降伏直前,ソ連と中国(蔣介石政権)の間に締結された〈中ソ友好同盟条約〉を改定,継承したもので,旧条約と同様に第1条で,日本あるいは日本と結びついた外国によって,中ソいずれかの国が侵略を受けた場合,相互に〈全力をあげて軍事その他の援助を与えること〉を約している。また条約とともに,中国長春鉄道(旧,満鉄),旧条約以来ソ連が租借していた旅順,大連の返還,ソ連の対中経済援助などの諸協定が結ばれた。…

※「中ソ友好同盟条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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