公開集会(読み)こうかいしゅうかい(英語表記)réunion publique

改訂新版 世界大百科事典 「公開集会」の意味・わかりやすい解説

公開集会 (こうかいしゅうかい)
réunion publique

一般的には特定の参加者からなる集会である私的集会に対して,不特定の参加者を前提とする公開の集会をいうが,ここではフランスの第二帝政末期の反帝政大衆運動の中核をなし,パリ・コミューンの出発点ともなった集会運動を指す。第二帝政末期のいわゆる〈自由帝政〉の政策一環として,1868年6月6日の公開集会に関する法律によって,制限つきではあるが,集会の自由が認められた。公開集会は,法的には,公開非政治集会と公開選挙集会に分けられ,前者では政治と宗教に関するテーマを扱うことが禁じられ,後者では開催できるのは選挙の時期に限られ,参加できるのは選挙区の有権者に限定されていた。また,両者とも当局の代表が臨席して弁士の発言停止を命じることができ,場合によっては解散を命じることもできた。パリでは公開集会は保守的なグループによって開始され,彼らによる大衆の啓蒙活動の形をとり,規模も小さくあまり影響力をもたなかった。しかし,68年末頃から集会運動が飛躍的に拡大するとともにその様相を一変した。演壇にはさまざまな傾向をもつ無名の社会主義者たちが登場し,政府のみならず社会体制そのものを攻撃し,警官隊との流血衝突も生じた。公開集会は当時のパリの民衆の政治・社会生活の核として機能し,そこでさまざまな政治潮流が混ざり合い衝突するるつぼとなった。そして,このなかからやがてパリ・コミューンにおいて中心的な役割を担う一群の活動家が育っていったのである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の公開集会の言及

【パリ・コミューン】より

…このような状況の中で,労働者自身による労働者の解放を目ざす集産主義者collectivisteたちは,社会革命実現のためには帝政の打倒が先決であるとし,急進派と同盟するにいたった。他方,民衆次元で反帝政運動の核になったのが公開集会であった。パリの各地区,とくに労働者街では毎晩のように公開の集会が開かれ,そこでさまざまな問題が論じられ,民衆の意識と行動の核が徐々に形成されていった。…

※「公開集会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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