土肥経平(読み)どひ・つねひら

朝日日本歴史人物事典 「土肥経平」の解説

土肥経平

没年:天明2.10.20(1782.11.24)
生年:宝永4.2.22(1707.3.25)
江戸中期の有職故実家。誕生日は一説に26日。通称典膳。号は富山山人,宇治郷山人など。父は備前岡山藩士土肥貞平,母は熊沢蕃山の孫通子。享保14(1729)年家を継いだ。明和1(1764)年,朝鮮通信使節の接伴役を命じられたが,その際,部下の不謹慎な行動の責任をとらされ,蟄居の身となった。以後,宇治郷(宇治市)の別荘竹裡館で古典の収集,書写,注釈,著作に従事した。次女里子が五条為璞に嫁したことから京都の縉神家伝来の典籍を書写する便宜を得て,古典の理解を深めた。その自筆写本,稿本の類は千有余冊と伝えられる。<参考文献>井上通泰『南天荘襍筆』

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土肥経平」の解説

土肥経平 どひ-つねひら

1707-1782 江戸時代中期の有職(ゆうそく)家。
宝永4年2月22日生まれ。備前岡山藩士。宝暦14年朝鮮通信使節接待の際,部下の失態のため蟄居(ちっきょ)。以後,有職故実の研究と著述専念。自筆の書写本は1000冊をこえるという。天明2年10月12日死去。76歳。通称は吉五郎,典膳。号は富山山人。著作に「湯土問答」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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