堀江(読み)ホリエ

デジタル大辞泉 「堀江」の意味・読み・例文・類語

ほりえ【堀江】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「堀江」姓の人物
堀江謙一ほりえけんいち
堀江敏幸ほりえとしゆき

ほり‐え【堀江】

掘って水を通した人工の川。疎水。

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精選版 日本国語大辞典 「堀江」の意味・読み・例文・類語

ほり‐え【堀江】

[1] 地を掘って水を通した人工の川。疏水。特に難波の堀江をいうことが多い。
書紀(720)仁徳一一年一〇月(前田本訓)「宮の北の郊原(の)を掘(ほり)て、南の水を引きて西の海に入る。因て其の水を号(な)づけて堀江(ホリエ)と曰ふ」
[2]
[一] 大阪市西区の南部、木津川西横堀川(現在は埋めたてられて上を高速道路が走る)・道頓堀川・長堀川(現在は埋めたてられて長堀通)に囲まれる地域の呼称江戸時代は木津川口の廻船の発着所で、材木・薪炭問屋が多かった。元祿一一年(一六九八)中央部に堀江川が開削され、南北に分けられた。
[二] =ほりかわ(堀川)(二)(一)
浄瑠璃・傾城酒呑童子(1718)一「誰かほり江で水たかき、矢を射る如き川の瀬を、戻り橋とは付ぬらん」
[三] 大阪市内を流れる淀川の古称。

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改訂新版 世界大百科事典 「堀江」の意味・わかりやすい解説

堀江 (ほりえ)

(1)《日本書紀》に見える古代難波の人工河川。仁徳11年,高津宮の宮北の郊原を掘り,南水を引いて西海に通ぜしめ,これを〈堀江〉と称したとあり,また欽明13年,〈仏像を以て難波堀江に流棄す〉などと記されている。大阪市北区の天満橋から中之島へかけての大川(旧淀川)の流路と推定されている。

(2)大阪市西区の地名。1698年(元禄11)江戸幕府は新地の開発を目的に,河村瑞賢に命じて大坂三郷地続きの長堀川,道頓堀にはさまれた地を開発させ,中央部東西に堀川を開削させて〈堀江川〉と名づけた。以後川の北側を北堀江,南側を堀江と通称するようになったが,幕府は堀江新地繁栄のため上荷船500艘,新土船24艘を許可したほか,茶屋株,煮売株,水茶屋,湯屋株,道者宿株,髪結床,能舞台,芝居,相撲,魚市,青物市を許し,三郷のなかに組み入れた。堀江川は1960年に埋め立てられたが,現在北堀江,南堀江各1~5丁目がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀江」の意味・わかりやすい解説

堀江
ほりえ

大阪市西区南東部の地区。北は長堀,東は西横堀 (以上埋立て) ,南は西道頓堀,西は木津川で限られる。元禄 11 (1698) 年,河村瑞賢が中央部に堀江川 (埋立て) を開き,川の北を北堀江,南を南堀江と呼んだ。かつては四方を水路に囲まれ,木津川河口近くに位置したことから江戸廻船,北国廻船 (→北前船 ) の発着地としてにぎわい,木材,薪炭の集散地であった。現在も木材業者が多く,立花通りは家具問屋街として知られる。

堀江
ほりえ

愛媛県北西部,斎 (いつき) 灘にのぞむ集落。旧村名。 1940年松山市に編入。古くから知られた港町で,『万葉集』で詠まれた熟田津 (にぎたつ) にあたるといわれる。呉市 (阿賀) と結ぶフェリーの起点。第2次世界大戦前は白砂青松の海水浴場として知られたが,現在は松山市の住宅地区となっている。近くに権現温泉がある。今治街道 (国道 196号線) が通り,JR予讃線堀江駅がある。

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百科事典マイペディア 「堀江」の意味・わかりやすい解説

堀江【ほりえ】

大阪市西区南東部の地区。木津川,西長堀川(埋立),西道頓堀川などに囲まれる。江戸時代には木津川の河口近くにあたり,回船の発着地として栄え,材木,薪炭,藍(あい)などを扱う豪商が多かった。現在も材木・家具問屋が多い。

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