高津宮(読み)こうづのみや

日本大百科全書(ニッポニカ)「高津宮」の解説

高津宮
こうづのみや

大阪市中央区高津に鎮座。仁徳(にんとく)天皇を主神とし、左に仲哀(ちゅうあい)天皇・応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后、右に葦姫(あしひめ)皇后・履中(りちゅう)天皇を祀(まつ)る。旧社地は仁徳天皇皇居高津(たかつ)宮跡で、同地に鎮座の式内社比売許曽(ひめこそ)神社境内にいつしか創建された。964年(康保1)社殿改築より本社が主とされ、比売許曽社が境内社のようになり、1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の大坂城築城にあたり現社地へ遷座。明治の制で府社。例祭7月18日。

[鎌田純一]

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精選版 日本国語大辞典「高津宮」の解説

たかつ‐の‐みや【高津宮】

[一] 仁徳天皇の皇居。大阪市中央区法円坂一丁目の難波宮跡にあったものと推定されている。難波高津宮。
[二] 大阪市中央区高津(こうづ)にある高津宮(こうづのみや)のこと。仁徳天皇ほか五神をまつる。

こうづ‐の‐みや カウづ‥【高津宮】

大阪市中央区高津にある神社。旧府社。祭神は仁徳天皇ほか五柱。貞観八年(八六六清和天皇により橘良基が創建。こうづぐう。高津さん。

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世界大百科事典内の高津宮の言及

【難波宮】より

…現在の大阪市中央区法円坂町一帯を中心として所在した7世紀中葉から8世紀末に至る古代宮殿遺跡。上町台地を中心とする古代の難波の地には,古くは応神天皇の大隅(おおすみ)宮,仁徳天皇の高津宮,欽明天皇の祝津(はふりつ)宮などの宮室が置かれたと記紀は伝えている。645年(大化1)6月,飛鳥板蓋(いたぶき)宮における蘇我入鹿暗殺事件を発端としていわゆる大化改新が開始されるが,同年12月,孝徳天皇は都を飛鳥から難波長柄豊碕(ながらとよさき)に移した。…

※「高津宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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