デジタル大辞泉
「大槻如電」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
おおつき‐じょでん【大槻如電】
文学者。旧仙台藩士。磐渓の子。文彦の兄。和漢洋の学に通じ、特に
邦楽の
研究に
貢献。著「駅路通」「新撰洋学年表」「舞楽図説」「御肇国史」など。弘化二~昭和六年(
一八四五‐一九三一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
大槻如電 (おおつきにょでん)
生没年:1845-1931(弘化2-昭和6)
明治時代の学者。仙台藩士大槻磐渓の長男。文彦(国語学者)の兄。名は清修,通称は修二,如電は号。家学をうけ林家に学び,仙台藩校養賢堂で国学をも修めた。海軍兵学寮教官をへて1872年文部省の《新撰字書》の編集などに従事した。74年辞官してから著述に専念。和漢洋学から邦楽・舞踊などにも通じ,博学奇行で知られた。著書に《舞楽図説》《俗曲の由来》《駅路通》《新撰洋学年表》等。
執筆者:有坂 隆道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大槻如電 おおつき-じょでん
1845-1931 明治-昭和時代前期の学者。
弘化(こうか)2年8月17日生まれ。大槻磐渓の次男。大槻文彦の兄。仙台藩藩校養賢堂にまなぶ。明治4年海軍兵学寮教官となり,文部省勤務ののち7年退官。以後在野の学者として和漢洋学,文芸,歌舞音曲など幅ひろく活躍した。昭和6年1月12日死去。87歳。江戸出身。名は清修。字(あざな)は念卿。通称は修二。号は「にょでん」ともよむ。著作に「洋学年表」「舞楽図説」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例