コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大槻如電 おおつき じょでん(にょでん)

6件 の用語解説(大槻如電の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

大槻如電

学者。江戸生。大槻磐渓の長男、大槻文彦の兄。名は清修、通称は修二、字は念卿。仙台藩『新撰字書』の編集に従事する。学は和漢洋に通じ、日本音楽歌曲に通じていた。昭和6年(1931)歿、87才。

出典|(株)思文閣
美術人名辞典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

おおつき‐じょでん〔おほつき‐〕【大槻如電】

[1845~1931]漢学者。江戸の生まれ。磐渓の長男。文彦の兄。本名、清修。和漢洋の学に通じ、特に日本音楽に精通。著「舞楽図説」「俗曲の由来」「東西年表」など。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

大槻如電【おおつきじょでん】

学者。大槻磐渓の子,大槻文彦の兄。本名清修,通称修二。和漢洋の学に通じ,《東西年表》《洋学年表》などを著す。特に雅楽平曲から俗曲にいたる日本音楽に精通,雅楽研究の先駆をなす《舞楽図説》や《俗曲の由来》を発表した。
→関連項目大槻磐渓

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大槻如電 おおつき-にょでん

おおつき-じょでん

大槻如電 おおつき-じょでん

1845-1931 明治-昭和時代前期の学者。
弘化(こうか)2年8月17日生まれ。大槻磐渓の次男。大槻文彦の兄。仙台藩藩校養賢堂にまなぶ。明治4年海軍兵学寮教官となり,文部省勤務ののち7年退官。以後在野の学者として和漢洋学,文芸,歌舞音曲など幅ひろく活躍した。昭和6年1月12日死去。87歳。江戸出身。名は清修。字(あざな)は念卿。通称は修二。号は「にょでん」ともよむ。著作に「洋学年表」「舞楽図説」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

おおつきにょでん【大槻如電】

1845‐1931(弘化2‐昭和6)
明治時代の学者。仙台藩士大槻磐渓の長男。文彦(国語学者)の兄。名は清修,通称は修二,如電は号。家学をうけ林家に学び,仙台藩校養賢堂で国学をも修めた。海軍兵学寮教官をへて1872年文部省の《新撰字書》の編集などに従事した。74年辞官してから著述に専念。和漢洋学から邦楽・舞踊などにも通じ,博学奇行で知られた。著書に《舞楽図説》《俗曲の由来》《駅路通》《新撰洋学年表》等。【有坂 隆道】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone