大野屋惣八(読み)おおのや・そうはち

朝日日本歴史人物事典 「大野屋惣八」の解説

大野屋惣八

明和4(1767)年から明治32(1899)年まで7代にわたり,名古屋長島町5丁目で営業した貸本屋家号は胡月堂,聚文舎。江口氏。惣八は代々通称略称大惣という。初代以来,購入した書籍は売却しないという方針で,廃業時には二万一千余部に上ったという膨大かつ多種多様な蔵書を蓄える一方,椒芽田楽らお抱え作者を擁して新作写本を作り,かたわら出版も行った。滝沢馬琴,十返舎一九をはじめ,東海道往来の文人墨客も多く訪れたが,極めて廉価の見料で,尾張藩士から一般市民まで幅広く利用され,現在の図書館の役割も果たした。水谷不倒,坪内逍遥も青年時にはその恩恵に浴したという。大惣旧蔵書は,ほとんどが初版かそれに近い善本であるため資料的価値が高く,またその蔵書目録とともに,近世の読書のありようを伝える貴重な資料となっている。<参考文献>安藤直太朗『貸本屋大惣の研究』,朝倉治彦『貸本屋大惣』(古通豆本32),柴田光彦編『大惣蔵書目録と研究』

(安永美恵)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大野屋惣八」の解説

大野屋惣八 おおのや-そうはち

1728-1811 江戸時代中期-後期の貸本屋。
享保(きょうほう)13年生まれ。明和4年名古屋で開業。大惣とよばれ,全国一の蔵書をほこり繁盛した。その後,4代にわたってつづいたが,明治45年に廃業した。文化8年11月4日死去。84歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。姓は江口。通称は新六。家号は胡(湖)月堂。

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世界大百科事典(旧版)内の大野屋惣八の言及

【貸本屋】より

…1703年(元禄16)刊の雑俳集《すかたなそ》に〈借り本の書出しか来ル年堺イ〉とあり,江戸中期以後は全国的に広がり,小説類,浄瑠璃本,歌舞伎脚本,軍談,実録などは貸本屋を通じて読まれるのが一般的になった。1802年(享和2)刊《小栗忠孝記》序文に〈つれづれなぐさむるものは やまともろこしの書 むかし今の物がたりの類なり これを小書肆の輩 背に汗し足を空にして竪横(じゆうおう)にはしり 町小路在郷までも 日数を限りて貸ありく 見るものはつかの見料をもて慰む事 当世のならはしとなりぬ〉とあるように,当時の貸本屋は背丈にあまるほどの本を笈箱(おいばこ)やふろしきで背負って得意先を回ったが,後期になると江戸の長門屋(ながとや)や名古屋の大惣(だいそう)(大野屋惣八)のように店を構えて営業するものも現れた。貸本屋は08年(文化5)江戸で656軒(《画入読本外題作者画工書肆名目集》),同じころ大坂で約300軒(《慶長以来大坂出版書籍目録》)という記録もあるが,本屋との兼業者も含めるとこの数をはるかに上回ると思われる。…

【台帳】より

…上方の〈絵入根本〉はこれにあたる。現存の台帳は貸本屋のものが多く,その中では名古屋の貸本屋大野屋惣八(通称大惣)旧蔵のものが大部分を占めている。【土田 衛】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」