朝日日本歴史人物事典 「杉孫七郎」の解説
杉孫七郎
生年:天保6.1.16(1835.2.13)
長州(萩)藩士,明治大正期の政治家。諱は重華。号は松城など。長州藩士植木五郎右衛門の子で,同藩士杉彦之進の養子となった。藩校明倫館に学び,また吉田松陰の薫陶も受けた。文久1(1861)年12月藩命により,幕府の遣欧使節竹内保徳に従って欧州を視察した。元治1(1864)年の四国連合艦隊による下関襲撃に際しては,井上馨 らと共に戦争回避に尽力し,講和成立に功績があった。慶応2(1866)年の第2次長州征討では石州口に参謀として出征,慶応3年長州藩兵の討幕東上にも参謀として参加した。維新後,山口藩権大判事,宮内大丞,秋田県令を経て,明治6(1873)年再び宮内大丞となり,以後宮内少輔,宮内大輔,皇太后宮大夫など宮中の要職を歴任した。この間,16年には特命全権公使としてハワイ国皇帝カラカワの即位式に参列した。20年子爵となり,30年枢密顧問官,41年議定官に任ぜられた。<参考文献>宮内庁編『明治天皇紀』,末松謙澄『防長回天史』
(梶田明宏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報