精選版 日本国語大辞典 「末松謙澄」の意味・読み・例文・類語
すえまつ‐けんちょう【末松謙澄】
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明治・大正時代の政治家。名は正式には「のりずみ」と読む。号は青萍(せいひょう)。安政(あんせい)2年8月20日、豊前(ぶぜん)国(福岡県)の大庄屋(おおじょうや)の家に生まれる。1871年(明治4)上京。東京日日(にちにち)新聞社に入社して文才を発揮。伊藤博文(いとうひろぶみ)に認められて官途についた。1878年駐英公使館書記生見習として渡英し、翌年ケンブリッジ大学に入学。文学・語学・法学を修め、滞英中『源氏物語』(抄)を英訳刊行した。1886年帰国後、内務・文部両省に勤め、1889年には伊藤の長女と結婚。第1回衆議院議員選挙以来、3回連続当選し、1896年からは貴族院に転じた。1892年以後、第二~四次の各伊藤内閣で法制局長官・逓信(ていしん)大臣・内務大臣を歴任。日露戦争中には渡英して、日本の立場を英文の著作で説明した。1907年(明治40)子爵。演劇改良会の設立、イギリスの女流作家バーサ・M・クレイの小説『谷間の姫百合(ひめゆり)』やイギリス人アンデルの『日本美術全書』の翻訳、『防長回天史』の編纂(へんさん)など、幅広い活動でも知られる。文学博士・法学博士。大正9年10月5日死去。
[大日方純夫]
『金子厚男著『末松謙澄と「防長回天史」』(1980・青潮社)』▽『玉江彦太郎著『青萍・末松謙澄の生涯』(1985・葦書房)』
(玉江彦太郎)
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…有職故実家による史実や時代考証の重視,道徳的規範にのっとった人物像の設定など,いわゆる〈活歴劇〉がそれで,1878年6月,勘弥の新富座開場に際して団十郎は《松栄千代田神徳(まつのさかえちよだのしんとく)》を上演したが,民衆の支持を得られなかった。しかし,条約改正問題を背景とした鹿鳴館時代の諸事万端の改良論流行の中で,86年7月,伊藤博文首相は,勘弥,団十郎,5世尾上菊五郎を招いて演劇改良の所見を示し,8月に新帰朝者で娘婿の末松謙澄を首唱者とし,外山正一,渋沢栄一を後援者に演劇改良会をつくらせた。その趣意書には,従来演劇の陋習の改良,脚本作者の地位の向上,構造完全な演技場の設立という目的が掲げられ,新聞雑誌はいっせいに演劇改良論議を掲載した。…
…幕末・維新期の長州藩を叙述した史書。伊藤博文につらなる政治家・文化人の末松謙澄が著者。毛利家旧重臣とともに山路愛山や堺利彦らが編纂に参加し,毛利家の依頼で編纂が始められたとはいえ,客観的叙述が見られる。…
※「末松謙澄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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