改訂新版 世界大百科事典 「水野清一」の意味・わかりやすい解説
水野清一 (みずのせいいち)
生没年:1905-71(明治38-昭和46)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…明治・大正期に松本文三郎,木下杢太郎,大村西崖,小野玄妙も調査や研究を加えたが,関野貞(せきのただし)・常盤大定(ときわだいじよう)《支那仏教史蹟》巻2(1926)は従来の研究に画期を与え,その石窟番号は現在まで使われている。のち東方文化学院(京都大学人文科学研究所東方部の前身)は水野清一を隊長として38‐44年に実測・撮影・拓本・小発掘による大規模な調査をおこない,《雲岡石窟》16巻(1951‐56)を公刊。解放後の中国は55年以来補修工事を成就し,山西雲岡石窟文物保管所をおき,調査発掘や石窟防護にあたっている。…
※「水野清一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新