泉屋道栄(読み)いずみや・どうえい

朝日日本歴史人物事典 「泉屋道栄」の解説

泉屋道栄

没年文明16.9.6(1484.9.25)
生年:応永19(1412)
室町中期の堺の豪商で,会合衆のひとり。文明8(1476)年,金銭を堺北荘の八文字屋が借りたまま返さないので,室町幕府に訴えている。また堺南荘百姓泉屋道栄とも記されているので,道栄は金貸し業などを行うとともに地主でもあったのだろう。堺海会寺の季弘和尚の日記『蔗軒日録』によれば,晩年の文明16年8月三宅主計と共に,堺総社三村宮(開口神社)の祭礼頭人を勤めている。季弘との交友も深く,季弘は文明16年9月の道栄の死去に際して荼毘におもむいたほか,五七日忌や三年忌などにも出ている。<参考文献>泉澄一『堺』

(吉田豊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「泉屋道栄」の解説

泉屋道栄 いずみや-どうえい

1412-1484 室町時代の豪商。
応永19年生まれ。堺(さかい)の商人で,堺の自治をとりしきる会合(えごう)衆のひとり。文明16年三宅主計(みやけ-かずえ)と堺総社の三村宮祭礼を主宰した。京都南禅寺の聖徒(しょうと)の弟子で,海会(かいえ)寺の季弘大叔(きこう-だいしゅく)と交友があった。文明16年9月6日死去。73歳。号は春林。

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