開口神社(読み)あぐちじんじや

日本歴史地名大系 「開口神社」の解説

開口神社
あぐちじんじや

[現在地名]堺市甲斐町東二丁

阪堺電軌阪堺線の大小路おおしようじ駅南東に鎮座。所在地は古代の大鳥郡塩穴下しあなしも条開口村、庄園制下では堺南さかいみなみ庄に含まれた。延喜式内社。旧府社。祭神は塩土老翁神・素盞嗚神・生国魂神の三神で、相殿に大己貴神を祀る。このうち塩土老翁神は開口村の神であるのに対して、素盞嗚神は「原村」の、生国魂神は「木戸村」の神で、天永三年(一一一二)に合祀したとされる(貞永二年「神社記」社蔵)。中世・近世では多く三村みむら社・三村大明神とよばれ、また神宮寺である念仏ねんぶつ寺といっしょにして大寺おおてらとよばれている。なお塩土老翁神は「日本書紀」神代の天孫降臨段一書で、伊弉諾尊の子事勝国勝神の別名とされ、海上交通を支配し、山幸彦に海宮のありかを教えるなど、よい場所を教える役割をもつ神として描かれている。

「住吉大社神代記」に「開速口姫神」と所見するのが、おそらく当社をさすのであろう。「延喜式」神名帳には大鳥郡二四座中に「開口アキクチノ神社」とみえる。また「続左丞抄」には住吉社(現住吉区)の神領中、神功皇后の時に寄付されたものとして「開口別宮」がみえる。神階は正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」に「正五位上開口社」とある。一方念仏寺に関しては、承安四年(一一七四)に念仏寺一切経蔵が建立されたといわれ(天福二年二月五日「念仏寺一切経蔵等建立注文」開口神社文書、以下とくに断りがない場合は同文書)、指画で有名な文治三年(一一八七)三月三日付の寄進状によると、尼妙恵が一切経蔵三昧僧供田を寄進している。これらが開口神社と念仏寺が確実な文献にみえる早い例であるが、住吉社と同じく航海の安全にかかわる神として古代の比較的早い時期から鎮座していたこと、平安時代頃には住吉社の別宮とされていたこと、念仏寺は平安時代後期には一切経を備えるほどに人々の深い信仰を受けていたことなどを知ることができる。

一方、元禄三年(一六九〇)関白近衛基熙以下二五人が執筆し、土佐光起が絵を描いた社蔵の大寺縁起(国指定重要文化財)は、伊弉諾尊・伊弉冊尊が国生みの後、「筑紫日向の国小戸の橘の原の塩潮にて御祓し給ふ御時、あらはれ出給ひし御神、底筒男命・中筒男命・表筒男命、これすなはち住吉の御神、塩土の老翁なり」と、塩土老翁神と住吉神とが同神であることから説きおこし、住吉神は開口神社のある「瑞森」から摂津住吉へ影向したとも述べる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の開口神社の言及

【堺[市]】より

…江戸時代末までの堺の町は環濠(土居川)の内部に限られ,これが都市の核(現在の旧市街地)に相当する。旧市街には,《延喜式》に載る古社で住吉神社の別宮となった開口(あぐち)神社や,明治初年から同14年まで堺県庁がおかれていた本願寺堺別院がある。1900年に南海高野線が,さらに30年に阪和線が開通するに及んで旧市街の東部に都市化が始まった。…

※「開口神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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