改訂新版 世界大百科事典 「笹森儀助」の意味・わかりやすい解説
笹森儀助 (ささもりぎすけ)
生没年:1845-1915(弘化2-大正4)
明治時代の探検家。弘前に生まれる。元弘前藩士。1870年(明治3)官吏となり,78-81年青森県中津軽郡長。民権派に荷担する県令に反対して退官し,翌82年より約10年間,士族授産のため岩木山麓に農牧社を経営。90年創開の帝国議会を全日傍聴,国政に失望して91年西国を巡視した。翌年千島列島探検,93年沖縄・奄美諸島を踏査して国境の防備,辺境の社会改革等を提言した。94-98年奄美の島司。95年薩南(さつなん)の10島を視察。99年渡韓,咸鏡道北関地方,シベリア,豆満国境を視察。東亜同文会の城津,鏡城学堂長を務めたが,1901年帰国。翌年第2代青森市長。幕藩体制の崩壊を体験し,新たな国家再編の原動力が民衆の生産力にあると見て,辺地を踏査,国情の実際を究め,民生の向上,産業の振興に尽力。列強の進出に反対して国力の増強を図ろうとした。主著に《千島探験》《南島探験》《拾島状況録》《西伯利亜(シベリア)旅行日記》がある。
執筆者:東 喜望
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報