筒井氏(読み)つついうじ

改訂新版 世界大百科事典 「筒井氏」の意味・わかりやすい解説

筒井氏 (つついうじ)

大和国添下郡筒井を本拠とした南北朝~安土桃山時代武家。興福寺一乗院門跡の坊人として仕える一方,衆徒棟梁的地位たる官符衆徒の一員として大和において勢力を占めた。その発祥は諸説あるがつまびらかでない。南北朝期より,中央政界の動きと連動しながら大和の中小武士団をその勢力下に糾合しはじめる。永享年間(1429-41)の大和国内の長期にわたる戦乱を経て,十市氏・越智氏らと並ぶ屈指の有力武士として成長。1559年(永禄2)に松永久秀が大和に進出するや,筒井順慶は大和の在地勢力の先頭に立ってこれと戦う。その後織田信長に仕えて大和の管領権を認められ,郡山に築城し,ここに移った。85年(天正13)順慶の猶子定次は豊臣秀吉の命によって伊賀上野に移ったが,のち徳川家康によって大坂冬の陣での豊臣方との内通を疑われ改易。大和に残った一族の定慶も,同夏の陣に際して豊臣方と戦って敗死し断絶した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「筒井氏」の意味・わかりやすい解説

筒井氏
つついうじ

中世の大和(やまと)国の豪族。筒井荘(しょう)(奈良県大和郡山(こおりやま)市)に蟠居(ばんきょ)、興福(こうふく)寺の衆徒(僧兵)になり、南北朝内乱で一乗院(いちじょういん)方に属して台頭した。春日若宮(かすがわかみや)祭礼を勤める大和武士六党のうちの乾脇(いぬいわき)党盟主。室町時代初頭に、守護代に相当する官符(かんぷ)衆徒棟梁(とうりょう)に抜擢(ばってき)されたが、越智(おち)氏と対立したため勢力圏は大和北部に限定された。応仁(おうにん)の乱後しばらく越智氏と結ぶ古市(ふるいち)氏に棟梁の地位を奪われたが、16世紀初頭に回復、1540年代の順昭(じゅんしょう)のときには、越智氏を押さえてほぼ一国を支配した。順昭没後、子の順慶(じゅんけい)は松永久秀(まつながひさひで)に圧倒されたが、織田政権下で勢力を回復、1576年(天正4)大和一国を預けられ、78年から郡山に築城した。豊臣(とよとみ)政権下でもその地位を認められ、84年順慶没後は養子定次(さだつぐ)が継いだが、伊賀(いが)上野に転封、1608年(慶長13)家中内紛により改易となった。

[村田修三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「筒井氏」の意味・わかりやすい解説

筒井氏
つついうじ

大和国添下郡筒井を根拠とした豪族。興福寺一乗院門跡の坊人。衆徒 (しゅと) の頭領的存在で,南北朝時代に発展して戦国大名となり,天文年間 (1532~55) に大和国を掌握。順慶 (→筒井順慶 ) の代に織田信長に仕え郡山城を構築。定次の代の天正 13 (85) 年伊賀上野に転封,慶長 13 (1608) 年除封。順慶の猶子定慶は1万石を与えられて郡山城番となったが,元和1 (15) 年大坂夏の陣で豊臣方と戦って敗れ絶家。

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世界大百科事典(旧版)内の筒井氏の言及

【豊田氏】より

…豊田氏は南北朝内乱期から台頭し,豊田中坊が興福寺衆徒(僧兵)に起用され,豊田城に拠った。1430年(永享2)に隣接の井戸氏と戦ったが,筒井氏の援助をもとめたため,反筒井氏の越智氏ら南大和衆が井戸氏を助けて決起,長期の大和南北合戦となり,応仁・文明の乱に移行する。当時,豊田頼英(らいえい)が付近の東寺領河原城荘(現,天理市の中心街地)の代官職に任ぜられたりしたが,布留郷の郷民の規制が豊田氏の武士化発展を制約したため,大小名化には至らなかった。…

【古市氏】より

…古市氏の国人としての成長も鎌倉時代後期と考えられ,1325年(正中2)古市但馬公が史料に見える。南北朝時代から,大和の実権を握る興福寺では大乗院,一乗院両門跡(もんぜき)の対立が深まり,興福寺の衆徒,春日社の国民に組織された国人も両門跡に分属,その中から北大和の筒井氏(一乗院方衆徒),南大和の越智(おち)氏(一乗院方国民)が頭角をあらわした。この過程で古市氏もしだいに台頭し,応永(1394‐1428)のころには胤賢(いんけん)が活躍した。…

【大和国】より

…とくに春日若宮の祭礼に願主人(施主)の制を設け,祭祀に参与した(宮座といえる)のが注目される。衆徒・国民らは地域武士団として六党(筒井氏の戌亥脇,十市(とおち)氏の長谷川,箸尾(はしお)氏の長川,平田荘荘官らの平田,楢原(ならはら)氏の南,越智(おち)氏の散在党)を組成,毎年その2党ずつが若宮祭礼に参仕,党首が願主人となるしくみである。願主人らは金春(こんぱる),金剛,観世,宝生(ほうしよう)の大和猿楽四座をそろって参仕させ,薪猿楽も興福寺南大門に移して盛大に執行されるにいたった。…

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