日本大百科全書(ニッポニカ) 「葛城氏」の意味・わかりやすい解説
葛城氏
かつらぎうじ
5世紀に大王家の外戚(がいせき)として栄えた大和(やまと)葛城地方の豪族。奈良県御所(ごせ)市掖上(わきがみ)の地から葛城(かつらぎ)市あたりまでを本拠地とした。記紀に襲津彦(そつひこ)、葦田宿禰(あしたのすくね)、玉田宿禰(たまたのすくね)、円大臣(つぶらのおおおみ)の名が認められ、襲津彦の女(むすめ)磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇(にんとくてんのう)皇后で履中(りちゅう)・反正(はんぜい)・允恭(いんぎょう)3天皇の母、葦田宿禰の女黒媛(くろひめ)は履中妃(ひ)で顕宗(けんそう)・仁賢(にんけん)両天皇の祖母、円大臣の女韓媛(からひめ)は雄略(ゆうりゃく)妃で清寧天皇(せいねいてんのう)の母とされ、さらに顕宗・仁賢の母を『日本書紀』は蟻臣(ありのおみ)(葦田宿禰の子)の女荑媛(はえひめ)と記している。氏姓制度が確立する以前の豪族であり、その氏族的実態は不明の点が少なくないが、襲津彦は4世紀末の大和王権の対外交渉の任にあたった実在の将軍とみられ、前記の后妃記事もいちおう信用してよいと思われる。玉田宿禰と円大臣は允恭・雄略両天皇に誅(ちゅう)されており、当初大王家と協調関係にあったこの大族もしだいにこれと対立するようになり、雄略の即位とともに滅亡した。『古事記』の建内宿禰(武内宿禰)(たけしうちのすくね)後裔(こうえい)27氏中に葛城氏の名がみえないのはそのためである。
[加藤謙吉]