朝日日本歴史人物事典 「赤羽一」の解説
赤羽一
生年:明治8(1875)
明治期の社会主義者。号,巌穴。長野県東筑摩郡広丘村郷原(塩尻市)の地主,問屋の長男。明治27(1894)年東京法学院(中央大学)入学。中退し『神戸新聞』記者。再上京後島田三郎の『革新』,松村介石の『警世』記者。『嗚吁祖国』出版(1902)後渡米。サンフランシスコ日本人福音会で社会主義者と交流。日露戦争に反対。桑港日本人社会主義協会幹事。38年帰国。日本社会党員。『平民新聞』『東京社会新聞』編集。筆禍で入獄。『農民の福音』(1910)が 朝憲紊乱罪で再入獄中自死。<参考文献>荻野富士夫『反文明・反近代主義者としての赤羽巌穴』
(松尾章一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報