ストーカーの小説《吸血鬼ドラキュラ》(1897)の主人公の名。ルーマニア,トランシルバニア地方の城主ドラキュラ伯爵は,死後も人間の生血を吸って生きながらえ,生贄をもとめて世紀末のロンドンに現れる。そこで主婦ミナ・ハーカーや生娘ルーシー・ウェンステラを毒牙にかけるが,彼の素姓をつきとめたファン・ヘルシング博士らによって追いつめられ,心臓に杭を打たれて往生する。ドラキュラのモデルは15世紀に実在したワラキア公国の領主ブラド・ツェペシュ(ブラド串刺し公)とされ,史実によれば,公は対トルコ戦において2万人のトルコ人並びにブルガリア人を杭に刺して惨殺したという。一方彼の残虐性は,神聖ローマ帝国,トルコ,ハンガリーの列強に囲まれた小国の君主として,彼が不羈独立の気概の持主であったゆえに,敵王たるハンガリーのマティアス・コルウィヌスMattias Corvinusによって流布させられた中傷ともいう。ドラキュラにまつわる吸血鬼伝説は〈封建主義とブルジョア革命以前の諸状態のメタファー〉(P.O. ホチェウィッツ)と解されもするが,皮肉なことに葬り去られたこの反市民社会的ヒーローは,市民社会のなかに繰り返しよみがえり,H.ディーン演出による舞台《ドラキュラ》(1925)をはじめ,F.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922),T.ブラウニング監督の《魔人ドラキュラ》(1931)等の映画作品を生み,ベラ・ルゴシBela Lugosi,クリストファー・リーChristopher Leeのような名ドラキュラ俳優を育てた。
→吸血鬼
執筆者:種村 季弘
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…ロベルト・ウィーネ監督の《カリガリ博士》(1919)がその典型で,〈怪奇映画の真の青写真〉と呼ばれ,〈狂人博士―怪物―襲われる美女〉のパターンをつくった映画ともいわれている。次いでブラム・ストーカー原作《吸血鬼ドラキュラ》の初の本格的な映画化であるF.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922)が現れる。すでに,大戦1年目の14年に,《ノスフェラトゥ》の脚本を書いたヘンリク・ガーレンの脚本,シュテラン・ライとパウル・ウェゲナー監督で,ユダヤ伝説による《ゴーレム》の初の映画化が行われるなど,サイレント期のドイツ映画が,怪奇と幻想映画の源流であったのは確かである。…
…ロベルト・ウィーネ監督の《カリガリ博士》(1919)がその典型で,〈怪奇映画の真の青写真〉と呼ばれ,〈狂人博士―怪物―襲われる美女〉のパターンをつくった映画ともいわれている。次いでブラム・ストーカー原作《吸血鬼ドラキュラ》の初の本格的な映画化であるF.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922)が現れる。すでに,大戦1年目の14年に,《ノスフェラトゥ》の脚本を書いたヘンリク・ガーレンの脚本,シュテラン・ライとパウル・ウェゲナー監督で,ユダヤ伝説による《ゴーレム》の初の映画化が行われるなど,サイレント期のドイツ映画が,怪奇と幻想映画の源流であったのは確かである。…
…中でもレ・ファニュの《カーミラ》(1872)は,恐怖美に満ちた女吸血鬼をめざましく描いた作品である。一方,1897年にはストーカーの《吸血鬼ドラキュラ》が出て,吸血鬼はロマン主義的な孤独で〈高貴な旅人〉としてふたたび男性化される(ドラキュラ)。以来吸血鬼はそのときどきに性を変えながら映画・演劇を通じて大衆化されることになる。…
…在位1448,1456‐62,1476年。ルーマニア史ではオスマン帝国の軍隊を退けた勇将として有名だが,欧米ではむしろB.ストーカーの小説《吸血鬼ドラキュラ》(1897)のモデルとして知られている。ワラキア公ブラド・ドラクルの子。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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