行為の絵画の意味。アメリカの抽象表現主義と同義に用いられる場合もあり、かつフランスのアンフォルメルinformel、タシスムtachismeに相応する。この語は批評家のローゼンバーグが1952年『アート・ニューズ』誌9月号に発表した「アメリカのアクション・ペインターズ」によっており、その劇的な文章は一時期、一世を風靡(ふうび)し、ハプニングの理論に影響を与えた。ローゼンバーグによって1940年代より追求されてきた行為の考察が絵画に適用されたもので、画布は完成・結果に向けての芸術表現の手段ではなく、素材と格闘する競技場であり、その過程が価値づけられる。ここにはダダイズムのパフォーマンス、シュルレアリスムのオートマティスム、実存哲学をはじめとする行為論の影響がある。デ・クーニングがその典型的な画家とみなされていたが、彼の絵画は部分的な筆致の激しさをもつものの、画面全体はキュビスムの空間形式に準じている点にこの用語の矛盾があった。
以後ローゼンバーグは適用範囲を、ポロック、そしてデ・クーニングとは相反するニューマンにまで広げていったが、そのために独自性を失い、今日では抽象表現主義という用語が広く使われている。なお、アービング・サンドラーのように「ジェスチュア・ペインティング」gesture paintingという用語を使用する者もいる。
[藤枝晃雄]
『ローゼンバーグ著、中屋健一・東野芳明訳『新しいものの伝統』(1965・紀伊國屋書店)』▽『ローゼンバーグ著、平野幸仁・度會好一訳『行為と行為者』(1973・晶文社)』
第2次大戦後10年間あまりアメリカで主流となった絵画の傾向で,ヨーロッパのアンフォルメル(抒情的抽象)に対応する。批評家ローゼンバーグが1952年の論文で初めて使った言葉。もともと,床に大きな画布をしいて中に入り込み文字どおりアクションによって描くポロックに由来し,狭義では彼の絵画のみに限定して用いられる。広義ではさらにマザウェルRobert Motherwell(1915-91),クラインFranz Kline(1910-62),マチューGeorges Mathieu(1921- ),リオペルJean-Paul Riopelle(1923-2002)らを含めていわれる。
→抽象表現主義
執筆者:千葉 成夫
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…40年代にニューヨークに登場する抽象表現主義はキュビスムとシュルレアリスムを背景とし,ヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。これには激しい動きを画面に投入したアクション・ペインティングの一派(J.ポロック,W.デ・クーニング,クラインFranz Kline(1910‐62)ら)と,平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティングColor‐Field Paintingの流れ(M.ロスコ,ニューマンBarnett Newman(1905‐70),スティルClyfford Still(1904‐80),ラインハートAd Reinhardt(1913‐67)ら)があり,両者とも巨大なキャンバスをいっぱいに使った衝撃的な絵画を創造した。 40年代後半から50年代半ばごろまでが抽象表現主義絵画の全盛期だったが,クライン,ポロックの相つぐ死去および抽象表現主義絵画そのものが抱えていた問題によって50年代末から崩壊し,代わってポップ・アートと新抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクションPost‐Painterly Abstraction)の二つが現れる。…
…〈別の芸術〉〈抒情的抽象〉〈熱い抽象〉〈タシスム〉などとも名付けられたが,いずれも言わんとするところはほぼ同じとみてよい。アンフォルメルはほぼ同時期にアメリカでJ.ポロックが始めたアクション・ペインティングに対応し,広い意味ではともに抽象表現主義の名で包括できる。フォートリエやボルスの戦中,戦争直後の作品が先駆的な作例であるが,前者は運動としてのアンフォルメルには批判的であり,後者は早世している。…
…〈現代〉という語はいずれは別の語に置き換えられることになるのであろうが,すくなくとも当分は現代美術の名で近代とは異なる新たな時代様式,様式というよりは新たな価値概念をもった時代を指し示そうとしているのである。
[〈現代〉の様式と〈近代〉の価値概念の矛盾]
第2次大戦直後のアンフォルメルやアクション・ペインティングは近代美術の最終の局面を示す動向であり,続くネオ・ダダやヌーボー・レアリスムNouveau Réalismeは近代の崩壊を象徴するとともに,ポップ・アートで発現する大衆社会化状況を告知したと言える。一方で,現代という時代の様式としての反映が,ネオ・ダダや反芸術以降の諸動向のなかにはっきり現れてゆく。…
… 作家により様式はさまざまだが,全体として抽象的な様式によりながらも感情や内面性・精神性などを表現しようとする試みととらえることができ,はじめてのアメリカ独自の美術といいうる。ポロックのように画面のなかに入りこんで描くものをとくにアクション・ペインティングとよぶ。また,この時期,ニューヨークで抽象表現主義作家を中核に形成されたグループを〈ニューヨーク派〉という。…
…この催しでは,ハプニングにおいて〈自発的な,起こるべくして起こる何か〉(カプロー)が重要視され,一回性の偶然や自発性が強調されたのである。 カプローのハプニングの淵源には,J.ポロックのアクション・ペインティングとJ.ケージの偶然性の音楽があった。キャンバスを床にひろげ,体ごと中に入って激しいアクションによって絵具を飛び散らせたポロックは,肉体と意識の交錯を生(なま)の時間の中にさらしつづけたわけであるが,ハプニングは,この描く行為自体をさらに積極的に,純粋に演じようとした。…
…51年以降は,白と黒だけを使った再現的な作品や初期の祭儀的なイメージを思わせる作品に戻ったが,56年,自動車事故のため悲劇的な死をとげた。彼はその〈アクション・ペインティング〉によってきわめて個性的な様式を創造したが,それはまたアメリカがはじめてもった独自の絵画,いわゆる〈アメリカ型絵画〉の先駆ともなった。なお,ポロックを中心とするアメリカのこのような絵画を抽象表現主義と呼び,それはヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。…
…アメリカの美術批評家。第2次大戦直後のアメリカに起こった抽象絵画を〈アクション・ペインティング〉と命名し,これをダイナミックな論理で分析したことで知られる。J.ポロック,W.デ・クーニングらの画家にとって〈キャンバスは“表現する”場であるよりも,むしろ行為(アクト)する場としての闘技場に見えはじめた〉とし,〈絵ではなく事件〉を画面上に生起させた,生(なま)の現在とアクションが,アメリカ美術をヨーロッパ美術の伝統から解放したと説いた。…
※「アクションペインティング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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