ポロック

デジタル大辞泉 「ポロック」の意味・読み・例文・類語

ポロック(Jackson Pollock)

[1912~1956]米国の画家。抽象表現主義の代表的画家で、床に平らに置かれたカンバスに絵の具を滴らせて画面を構成する手法はアクションペインティングの代名詞ともなった。

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精選版 日本国語大辞典 「ポロック」の意味・読み・例文・類語

ポロック

  1. ( Jackson Pollock ジャクソン━ ) アメリカの画家。ニューヨークで活躍したアメリカ現代美術の代表的巨匠。アクション‐ペインティングの創始者。(一九一二‐五六

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百科事典マイペディア 「ポロック」の意味・わかりやすい解説

ポロック

米国の抽象表現主義の代表的画家。ワイオミング州生れ。アート・スチューデンツ・リーグでベントンに学んだのち,アメリカ・インディアンの砂絵を知る。またピカソ,ミロの影響を受ける一方,1938年にアルコール中毒治療のため入院し,ユング派の医師ヘンダーソンを通してユングの象徴理論を学んだ。1947年ごろから絵筆で描くことをやめ,床の上にひろげたキャンバス一面に絵具をたらす方法(ドリッピング)によって,絵具が画面全体をおおいつくす(オール・オーバー),錯雑した密度の高い作品をつくり出し,〈アクション・ペインティング〉の名で呼ばれた。その後はニカワのついていない〈ロウ・キャンバス〉に絵具をしみ込ませる作品を手がけ,この手法はルイスらにうけつがれた。自動車事故で死亡。
→関連項目アンジェリコグリンバーグフランケンサーラーロサンゼルス現代美術館ローゼンバーグ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポロック」の意味・わかりやすい解説

ポロック(Paul Jackson Pollock)
ぽろっく
Paul Jackson Pollock
(1912―1956)

アメリカの画家。抽象表現主義の代表的作家として知られる。ワイオミング州コディに生まれる。1930年以降はニューヨークに住んで地方主義の画家トーマス・ハート・ベントンに師事し、壁画運動にも参加した。第二次世界大戦中にニューヨークに亡命したシュルレアリスト、とくにアンドレ・マッソンの影響を受け、オートマティスム(自動筆記法)の手法を発展させて、即興的に描く前衛的作風を確立した。インディアンの砂絵にヒントを得たその手法は、床の上に広げた大きなカンバスの上に、直接絵の具を垂らしたり飛び散らせたりして描く独特のもので、作者自身の身ぶりと行為の軌跡を刻々に画面に定着するところから「アクション・ペインティング」とよばれた。スケールの大きなその抽象絵画は、戦後のアメリカ美術を国際舞台に押し上げる先駆的な役割を果たした。56年8月11日、自動車事故のため死去。

[石崎浩一郎]

『東野芳明編『現代世界の美術21 ポロック』(1985・集英社)』『藤枝晃雄著『ジャクソン・ポロック』(1979・美術出版社)』


ポロック(Sir Frederick Pollock)
ぽろっく
Sir Frederick Pollock
(1845―1937)

イギリスの法律家。ロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学を卒業した。1871年にバリスターとなり、ロンドン大学(1882~1883)、オックスフォード大学(1883~1903)の法理学の教授であったほか、法曹学院のコモン・ローの教授も務めた。また、法律雑誌として伝統のある『ロー・クォータリー・レビュー』The Law Quarterly Reviewの発刊に尽力し、34年間その編集にもあたった。博識で、とくに哲学に明るく、半世紀以上にわたって、イギリス法の発展に影響を与えた。著作も多く、『契約法原理』(1876)、『コモン・ローの拡張』(1904)などが著名である。

堀部政男

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改訂新版 世界大百科事典 「ポロック」の意味・わかりやすい解説

ポロック
Jackson Pollock
生没年:1912-56

アメリカの画家。ワイオミング州コーディ生れ。アリゾナカリフォルニアで育つ。ニューヨークに移ってアート・スチューデンツ・リーグでT.H.ベントンらに学び,次いでWPAの連邦美術計画(FAP)にも携わる。初期の作品にはシュルレアリスムやP.ピカソの影響が認められるほか,インディアン美術などアメリカの土着的要素も色濃く含んでいる。1943年にP.グッゲンハイムの〈今世紀美術画廊Art of This Century Gallery〉で初個展を開いたころよりしだいに独自の道を切り開き,40年代半ばから画布を床に敷き,缶に入った絵具を上からたらす技法(ドリッピングdripping)によって,描くという行為の直接性を探求した。以降,画面は大きく,また絵具が画面全体を覆いつくすようになり(オール・オーバーall-overの絵画),密度がきわめて高く,ある種の抒情性にも富む絵画が生まれる。51年以降は,白と黒だけを使った再現的な作品や初期の祭儀的なイメージを思わせる作品に戻ったが,56年,自動車事故のため悲劇的な死をとげた。彼はその〈アクション・ペインティング〉によってきわめて個性的な様式を創造したが,それはまたアメリカがはじめてもった独自の絵画,いわゆる〈アメリカ型絵画〉の先駆ともなった。なお,ポロックを中心とするアメリカのこのような絵画を抽象表現主義と呼び,それはヨーロッパアンフォルメルに対応するものである。
執筆者:


ポロツク
Polotsk

ベラルーシ共和国北東部,ビテプスク州の都市。人口7万8700(1991)。ポルタ川が西ドビナ川に合流するところにあり,白ロシア最古の都市の一つ。すでに9世紀から古代スラブ人の公国の名前として知られ,バルト海のスカンジナビア人と東地中海のギリシア人の間の交易の中継基地として栄えた。13世紀からリトアニア領,16世紀からポーランドの支配に入ったが,1772年のポーランド分割でロシア領となった。〈ドルージバ(友好)〉パイプラインによって供給される原油を輸出用に精製するため,ポロツクとその衛星都市であるノボポロツクには大規模な石油精製工場がつくられ,共和国の代表的な石油化学工業都市となっている。このほか付近から調達できる原料を用いた食品工業,ガラス繊維工業,建築資材工業も盛んである。都市の周囲には標高150m以下の低地が広がり,多数の湖沼がある。また,ソフィア大聖堂をはじめとする歴史的建築物がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポロック」の意味・わかりやすい解説

ポロック
Pollock, Jackson

[生]1912.1.28. ワイオミング,コディ
[没]1956.8.11. ニューヨーク,イーストハンプトン
アメリカ合衆国の画家。フルネーム Paul Jackson Pollock。アメリカにおける抽象表現主義またはアクション・ペインティングの代表的存在。1929年ニューヨークへ出てアート・スチューデンツ・リーグでトーマス・ハート・ベントンに師事。1930年代にアメリカ西部を旅行,アメリカインディアンの砂絵や工芸品から示唆を受けた。1936年ニューヨークでメキシコの画家ダビド・アルファロ・シケイロスに師事,パブロ・ルイス・イ・ピカソやジョアン・ミロから影響を受けた具象的な作品を描いていたが,1940年代中頃から具象性が消え,1947年以後は大きなカンバスを床上に置き,工業用ペイントをたらして描く一種のオートマチックな方法(→オートマティスム)を発展させた。このような作品は,筆を用いずに体全体で描くことから「アクション・ペインティング」の名称で呼ばれた。その後再び具象性がみられるようになったが,1956年自動車事故で死亡した。主要作品は『秘密の守護者たち』(1943,サンフランシスコ近代美術館)など。

ポロック
Pollock, Sir Frederick

[生]1845.12.10. ロンドン
[没]1937.1.18. ロンドン
イギリスの法学者。ケンブリッジ大学卒業後,リンカーンズ・インに入り,法廷弁護士の資格を得る。 N.リンドリーの弁護士事務所で働いたのち,1882~83年ロンドン大学法理学教授。 83~1903年オックスフォード大学法理学教授をつとめるかたわら,1884~90年インズ・コートのコモン・ローの教授,85~1919年"Law Quarterly Review"の編集主幹をつとめ,14年にはシンク・ポーツの海事裁判所裁判官に任命された。その業績は政治学,倫理学,哲学の分野にまで及んでいるが,とりわけ,法理学では,イギリス法に対象を限定し,分析学的方法に立脚しつつ,歴史学的考察方法を加味させるという,いわば分析法学と歴史法学の総合を試みた。主著"History of English Law Before the Time of Edward I" (2巻,1895~98,F.メートランドと共著) ,"A First Book of Jurisprudence for Students of Common Law" (96) 。

ポロツク
Polotsk

ベラルーシ北部,ビテブスク州の都市。州都ビテブスクの西北西約 100km,西ドビナ川にのぞむ。建設資材,ガラス繊維,木材加工,醸造,食品加工などの工業が立地。郷土博物館がある。 862年に記録に現れ,交易の中心地として栄えた町で,城壁跡,12世紀の大聖堂など,史跡も多い。人口7万 8700 (1991推計) 。

ポロック
Polock, Moses

[生]1817
[没]1903
アメリカの出版業者,書籍愛好家。アメリカ文献専門の最初の希覯本商。出版物では C.B.ブラウンの最初の全集 (1857) が有名。

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367日誕生日大事典 「ポロック」の解説

ポロック

生年月日:1845年12月10日
イギリスの法学者
1937年没

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世界大百科事典(旧版)内のポロックの言及

【アクション・ペインティング】より

…批評家ローゼンバーグが1952年の論文で初めて使った言葉。もともと,床に大きな画布をしいて中に入り込み文字どおりアクションによって描くポロックに由来し,狭義では彼の絵画のみに限定して用いられる。広義ではさらにマザウェルRobert Motherwell(1915‐91),クラインFranz Kline(1910‐62),マチューGeorges Mathieu(1921‐ ),リオペルJean‐Paul Riopelle(1923‐ )らを含めていわれる。…

【抽象表現主義】より

…1940年代から50年代にかけて,アメリカで展開された一群の抽象芸術のこと。代表的作家はゴーキーデ・クーニング,ホフマンHans Hofmann(1880‐1966),ゴットリーブAdolph Gottlieb(1903‐74),マザーウェルRobert Motherwell(1915‐91),ポロック,ガストンPhilip Guston(1913‐80),クラインFranz Kline(1910‐62),スティルClyfford Still(1904‐80),ニューマンBarnett Newman(1905‐70),ロスコら。 作家により様式はさまざまだが,全体として抽象的な様式によりながらも感情や内面性・精神性などを表現しようとする試みととらえることができ,はじめてのアメリカ独自の美術といいうる。…

【ハプニング】より

…この催しでは,ハプニングにおいて〈自発的な,起こるべくして起こる何か〉(カプロー)が重要視され,一回性の偶然や自発性が強調されたのである。 カプローのハプニングの淵源には,J.ポロックのアクション・ペインティングとJ.ケージの偶然性の音楽があった。キャンバスを床にひろげ,体ごと中に入って激しいアクションによって絵具を飛び散らせたポロックは,肉体と意識の交錯を生(なま)の時間の中にさらしつづけたわけであるが,ハプニングは,この描く行為自体をさらに積極的に,純粋に演じようとした。…

※「ポロック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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