アッツ島の戦い
日本軍は1942年6月、北方の守備を固めるため、アッツ島を占領、飛行場の建設を進めた。翌43年5月、1万人以上の米軍が上陸し、島を奪還。日本軍部隊では捕虜となった二十数人を除く約2600人が犠牲となった。大本営は早々に島の放棄を決め、援軍要請に応じなかった上に「玉砕」という言葉を初めて使い、美談にしようとした。部隊の将兵は北海道出身が多かったという。(アンカレジ共同)
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アッツ島の戦い
アッツとうのたたかい
太平洋戦争中の戦いの一つ。 1942年6月7日以来,日本軍が占領していたアッツ島に対し,43年5月 12日,F.ロックウェル海軍少将指揮下のアメリカ第7歩兵師団の1万 2000人が戦艦,巡洋艦,護衛航空母艦,駆逐艦などの援護のもとに上陸し,山崎保代陸軍大佐指揮下の約 2500人の日本軍守備隊と戦った。戦闘は,5月 30日に山崎大佐が残存兵力を率いて最後の攻撃を行い,終結した。日本軍は 29人が捕虜となったほかは,全員戦死,あるいは自決。アメリカ軍は 561人が戦死し,1136人が負傷した。日本の大本営はアッツ島失陥を発表するにあたって,「玉砕」という言葉を初めて使った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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