アディ
Ady Endre
生没年:1877-1919
ハンガリーの詩人。東部のエールミンドセント(現在ルーマニア領)出身。ギムナジウム時代から詩作を始める。両親の希望でデブレツェンの法科の学生になるが,学業を放棄し,各地で新聞記者生活を送る。ハンガリーの後進性にぶつかる中で,ナジュバラード(現,オラデヤ)で進歩派の人々の知遇を得,やがて念願のパリに遊学,ボードレールらフランス象徴派詩人への傾倒をさらに深めた。帰国後,急進的な社会主義思想と伝統を破った新しい表現形式による《新詩集》(1906),《血と金》(1907)を刊行。若手作家の中心となり,彼らとともに文芸誌《ニュガト(西方)》にかかわり,同国の近代文学の確立に貢献した。10年間恋愛関係にあったディオーシ夫人レーダ,後に妻になったチンスカに対する恋愛詩も率直な情熱と葛藤を描いたものとして有名。短編,評論も多く,ハンガリー文学での特異な存在として国際的にも高い評価を得ている。
執筆者:岩崎 悦子
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アディ
Ady Endre
[生]1877.11.22. エールミンツェント
[没]1919.1.27. ブダペスト
ハンガリーの詩人。 20世紀ハンガリーの代表的詩人として,国際的に広く知られている。デブレツェン大学卒業後,地方新聞の記者となった。 1899年に『詩集』 Versekを発表して認められ,1904年から 11年にかけて3度パリに滞在,フランス象徴派の影響を受けた。帰国後『新詩集』 Új versek (1906) によって詩人としての地位を確立,以後,文芸雑誌『西洋』 Nyugatの中心的指導者として西欧派,急進派の先頭に立ち,保守派と対決した。作品には『血と金』 Vér és arany (07) ,『エリアの車』 Az Illés szekerén (08) など十数編の詩集のほか,文明批評,社会批評の論文や短編小説もある。
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アディ
あでぃ
Ady Endre
(1877―1919)
ハンガリーの詩人。地方都市の記者生活で自国の後進性に目覚め、パリ遊学中にフランス象徴詩に傾倒するとともに、急進的思想の持ち主となる。帰国後、『新詩集』(1906)、『血と金』(1907)を発表、ハンガリーの異色詩人として一躍注目を浴びた。彼の詩の新しさは、豊かな詩的世界と自己の思想を、斬新(ざんしん)な隠喩(いんゆ)の駆使により独自な表現形式に定着させたことで、彼を指導者とした文芸雑誌『西洋』は、多くの新世代の文学者を集め、ハンガリー文学に改革の波をもたらした。ほかに『逃避生活』(1912)、『死人たちを率いて』(1918)など、多数の詩集、短編集、エッセイ集がある。
[岩崎悦子]
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アディ
ハンガリーの代表的詩人。青年時代にパリへ遊学,フランス象徴派の影響を受けた。《新詩集》《血と金》などの詩集を発表,また文芸雑誌《ニュガト(西方)》を主宰して若い世代の文学者たちの中心的存在となった。
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世界大百科事典(旧版)内のアディの言及
【ハンガリー】より
…正式名称=ハンガリー共和国Magyar Köztársaság∥Republic of Hungary面積=9万3030km2人口(1995)=1027万人首都=ブダペストBudapest(日本との時差=-8時間)主要言語=ハンガリー(マジャール)語(公用語)通貨=フォリントForint東欧中部に位置する共和国。北はスロバキア,北東はウクライナ,東はルーマニア,南はセルビアのボイボディナ自治州,クロアチア,西はスロベニア,オーストリアと国境を接する内陸国。…
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