日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンガリー文学」の意味・わかりやすい解説
ハンガリー文学
はんがりーぶんがく
ハンガリー語(マジャール語)で書かれた初期の文献(12世紀末から15世紀ごろまで)はほとんど宗教的文書で、真の国民文学の歴史は17世紀の叙情詩人ズリーニZrínyi Miklós(1620―1664)に始まる。18世紀のハンガリーはオーストリアの統治下に入り、そのドイツ語化政策のため、国民文学は一時沈滞の傾向を示した。しかし、フランス革命の影響は、東欧の被支配民族の間に民族独立の気運をもたらし、とくに文学の面では新たな国民文学の勃興(ぼっこう)となって現れた。その先駆者には、劇作家ベッシェニェイBessenyei György(1747―1811)、詩人ベルジェニBerzsenyi Dániel(1776―1836)、評論家カジンツィKazinczy Ferenc(1759―1831)、叙情詩人チョコナイらがある。19世紀の前半はハンガリー国民文学の黄金時代で、史劇のキシュファルディとカトナ、叙事詩のベレシュマルティら、民族主義的ロマンチシズムを代表する優れた文学者を輩出した。そのなかでのもっとも大きい存在は詩人ペテーフィで、彼の叙情詩は今日までハンガリー人のあらゆる階層に愛唱されているだけでなく、国際的にも広く知られている。
ペテーフィが自ら参加して戦死を遂げた1848~1849年の独立戦争は、ハンガリー側の敗北に終わる。その後のオーストリアの圧制下で、ハンガリーは文学の面でも前代の明るさを失い、悲劇的なテーマの作品が多くなった。この時期のおもな作家には叙事詩のアラニュやマダーチがあり、苦難の時代に国民文学の伝統を守り続けた。1867年のオーストリア・ハンガリー和約でいちおうの自由を取り戻したハンガリーでは、多面的な小説家ヨーカイやミクサートが出て、その時代を反映した闊達(かったつ)な民衆性によって広く愛読された。このほか、劇作の方面でも、シグリゲティSzigligeti Ede(1814―1878)、チキCsiky Gergely(1842―1891)らの民衆喜劇が人気を博した。20世紀初めには、詩人アディを中心とする雑誌『西方』派に属する作家のバビッチ、コストラーニや、レアリズム文学のモーリツらがいて、両大戦間のハンガリー文壇に現代の西欧文芸思潮を導入し、若い世代に大きな影響を与えた。このほか戯曲家のモルナールが、国際的な人気作家として活躍し、その作品は欧米諸国や日本の劇団で上演された。
第一次世界大戦直後にはクン・ベラの共産政権が成立し、ルカーチ、バラージュらの文化人もこれに参加したが、革命の失敗で国外に亡命した。両大戦間の時代には、前期の西方派作家たちのほか、カリンティ、マーライMárai Sándor(1900―1989)ら多くの作家が活躍し、夭折(ようせつ)した詩人ヨージェフのような異才も出ている。第二次大戦後のハンガリーでは、この国の社会体制の変動に伴って、一時期は文学にもかなりの動揺がみられたが、その水準は戦前からの社会派作家ネーメット、イエーシュ、デーリや、文学史家ルカーチらの多面的な文筆活動によって保たれた。
1960年代後半、ハンガリーは、ほかの東欧諸国に先駆けて、上からの自由化が進み、文学の面でも、社会体制のなかで葛藤する個人を描く作家、シャーンタSánta Ferenc(1927―2008)、フェイェシュらの作品が次々に刊行された。また、戦前からの叙情詩人、ベレシュWeöres Sándor(1913―1989)を筆頭に、1950年代に登場したナジNagy László(1925―1978)、叙事詩人ユハースJuhász Ferenc(1928―2015)ら、詩の伝統も失われていない。
その後のハンガリー文学は、前記の作家らとともに1960年代に衝撃的な作品を発表し、以後も体制に抗して地下出版として作品を発表し続けた、社会派のコンラードKonrád György(1933―2019)をはじめ、言葉と心理の乖離(かいり)を穿(うが)つように描くナーダーシュNádás Péter(1942― )やポスト・モダンの旗手エステルハージEsterházy Péter(1950―2016)、戯曲作家でもあるシュピローSpiró György(1946― )ら、多彩なものとなっている。
[徳永康元・岩崎悦子]