ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンガリー文学」の意味・わかりやすい解説
ハンガリー文学
ハンガリーぶんがく
Hungarian literature
17世紀には,ハプスブルク家の統治下に入ったハンガリー西部で,バロック文化が開花した。パーズマーニ・ペーテルは反宗教改革派のなかで最も傑出した作家であると同時に,バロックの推進者で,思想,文体両面で影響を与えた。 17世紀最大の詩人は,大叙事詩『シゲトの危機』を著わしたズリーニ・ミクローシュである。 18世紀には,ハンガリー全土を支配したハプスブルク家のドイツ化政策下でハンガリー文学は衰退したが,まもなくフランス革命の思想的影響下に民族的覚醒の情熱に燃える世代が登場し,国民文学復興の機運が生れた。ベシェニェイ・ジェルジュはハンガリーに啓蒙思想を導入し,古典的な形式で表現したベルジェニ・ダーニエルと,ハンガリーの伝統にのっとった才能あふれる抒情詩人チョコナイ・ビテーズ・ミハーイが詩の復興に寄与した。カジンツィ・フェレンツは,長年にわたり幅広い国語改革の推進に貢献した。
19世紀に入ると,民族独立運動は一段と激化し,それに伴って民族主義的ロマン主義の文学が興り,悲劇『バーンク・バーン』 (バーンはハンガリーの高官を意味する) を書いたカトナ・ヨージェフ,のちにハンガリー国歌となった『ヒムヌス』を書いた詩人で政治家のケルチェイ・フェレンツ,ロマン主義最大の詩人ベレシュマルティ・ミハーイが現れた。 1840~50年代になると,ロマン主義は衰退して写実主義が台頭し,2人のハンガリー最大の詩人が活躍した。ペテーフィ・シャーンドルは情熱的で,知性に頼らず,力強く,革新的な詩人で,革命への情熱を直接的で単純な言葉で表現したすぐれた詩を書いた。ペテーフィの友人でもあったアラニュ・ヤーノシュは,直感ではなく,自分自身を詩から距離をおいた慎重な詩を創作した。マダーチ・イムレは宗教,哲学の問題を扱った『人間の悲劇』 (1861) の作者として知られている。小説は,19世紀初頭には文学のジャンルとして確立されていたが,本格的な小説が登場したのは写実主義が台頭してからのことである。その先駆となったのは,エトベシュ・ヨージェフの初期の政治小説である。続いて登場したケメーニュ・ジグモンドは,悲劇的で総じて陰鬱な心理小説を書いた。ハンガリーで最も人気のある小説家ヨーカイ・モールは,ロマンチックな要素のある皮相的ながらもおもしろい小説を書いた。ミクサート・カールマーンの風刺小説は,ハンガリー社会のさまざまな階層間の関係と争いを描き出した。
20世紀に入ると,象徴派詩人アディ・エンドレを先頭に,ハンガリー文学はめざましく開花し,数々の実りある作品を生み出した。アディは斬新で荘厳なスタイルを特徴とするすぐれた抒情詩人で,左翼文芸誌『西洋』に集った作家集団の精神的指導者でもあった。詩の翻訳は一般に困難であるが,アディの言葉はとりわけ翻訳がむずかしく,アディをはじめとするハンガリーの詩人の国際的な評価と影響は,理解されやすい言語で書かれていればもっと大きなものであったと思われる。アディに続く詩人としては,傑出した知性派で人文主義者のバビッチ・ミハーイ,ハンガリー最大の印象派詩人コストラーニ・デジェー,独創的で憂鬱な抒情詩人トート・アールパード,ハンガリーの伝統に深く根ざした印象派詩人ユハース・ジュラがいる。『西洋』派の散文作家のなかでは,写実的な短編,長編小説で,登場人物の性格を効果的に描き,多くの社会的テーマを扱ったモーリツ・ジグモンドが傑出している。カリンティ・フリジェシュは風刺とグロテスクな要素を多用した短編を書いた。第2次世界大戦の前後には「民衆派」の作家が活躍した。イエーシュ・ジュラは過激派の農民作家として出発し,のちにハンガリー詩壇の長老として君臨した。プロレタリア作家ヨージェフ・アッティラの詩は,沸立つ感情と知的で理性的な思考との葛藤を描いている。ラドノーティ・ミクローシュはナチの強制収容所で死亡する直前に簡潔で悲劇的な詩を書いた。ネーメト・ラースローは重要な心理小説家であり哲学者で,国際的にも広く知られている。デーリ・ティボルは影響力のある社会主義作家であったが,戦後は体制批判の立場に転じ,1956年のハンガリー動乱に関係して投獄された。戦後に登場した若手作家のなかでは,ピリンスキ・ヤーノシュとナジ・ラースローが代表的である。
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