ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
アメリカ合衆国憲法修正第19条
アメリカがっしゅうこくけんぽうしゅうせいだいじゅうきゅうじょう
Nineteenth Amendment
1848年7月,ニューヨーク州セネカフォールズでエリザベス・スタントンらによって女性解放運動(→ウーマン・リブ)が始まり,女性の参政権も訴えられた。南北戦争によって奴隷制が廃止となったが(→奴隷解放宣言),その余波で,解放された男性奴隷の選挙権の付与が先となり,女性参政権の実現はあと回しとなった。19世紀後半になると,徐々に州や地域によっては女性へ選挙権を広げる動きがみられた。ワイオミング准州では,1869年からすべての選挙で女性に選挙権が与えられた。同 1869年,女性の選挙権を定める合衆国憲法修正条項を実現しようとする全国女性参政権協会と,さまざまな州の州憲法に効力のある修正条項を加えることを目指したアメリカ女性参政権協会が結成された(1890に統合)。
1878年,すべての選挙において,女性の参政権を制定した憲法修正条項が議会に提出されたが,圧倒的多数で否決された。1890年,ワイオミングが州となり(→ワイオミング州),女性の選挙権を保障する州憲法をもつ最初の州となった。その後 10年間でいくつかの州がワイオミング州にならった。セオドア・ルーズベルトがアメリカ大統領選挙の第三政党の候補者として擁立された 1912年,彼が結党した革新党は憲法修正条項を支持する政策を採用した最初の国政政党となった。15の州が女性に等しく参政権を認めるなど女性参政権運動を支持する機運が高まった 1918年1月,修正条項が下院で正式に通過したが上院で否決されたため,全国女性党は否決に投票した議員たちを追放するキャンペーンを行なった。1919年,法案は可決され,翌 1920年テネシー州が批准したことによって修正条項の採択が確実となった。同 1920年8月26日,修正第19条はアメリカ合衆国憲法の一部として正式に発表された。
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