スタントン
Stanton, Elizabeth Cady
[生]1815.11.12. ニューヨーク,ジョンズタウン
[没]1902.10.26. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の女性解放運動の指導者。アメリカ最初の女性参政権を要求する運動を組織。1832年,トロイにある女子高等教育機関,トロイ女子神学校を卒業。法律家の父の事務所で学びながら,女性が差別的な法のもとに置かれていることを知り,性の平等をかちとることを決意する。1840年奴隷制廃止論者の法律家ヘンリー・B.スタントンと結婚。1848年ニューヨーク州議会に対し妻の財産権を認めるよう請願,同 1848年7月19~20日,ルクレシア・モットなどの女性解放論者とともに女性の権利を要求するアメリカ最初の集会をニューヨーク州セネカフォールズで開催し「所感の宣言」を起草した。1868年スーザン・B.アンソニーとともに女性の権利を訴える新聞『革命』The Revolutionを創刊。翌 1869年アンソニーとともに全国女性参政権協会を設立し会長に就任した。同協会は 1890年にアメリカ女性参政権協会と合併して全米女性参政権協会となったが,1892年までその会長も務めた。著書にアンソニー,マティルダ・J.ゲージとの共著『女性参政権の歴史』History of Woman Suffrage(6巻,1881~1922)などがある。
スタントン
Stanton, Edwin McMasters
[生]1814.12.19. オハイオ,スツーベンビル
[没]1869.12.24. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,政治家。南北戦争中の陸軍長官。 1836年弁護士となり,60年 12月 J.ブキャナン大統領のもとで法務長官。 A.リンカーン大統領の方針には批判的であったが,62年1月 13日リンカーンのもとで陸軍長官となり,南北戦争中の北部の軍事体制の運営にあたった。しかし戦後 A.ジョンソン大統領と再建計画をめぐって意見が合わず,共和党急進派の彼は 68年2月陸軍長官を罷免された。ジョンソン大統領はその件で議会で弾劾裁判にかけられたが1票差で弾劾を免れた。スタントンは同年5月職を辞し,法曹界に復帰した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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スタントン
すたんとん
Elizabeth Cady Stanton
(1815―1902)
アメリカの女性参政権運動の創始者。ニューヨーク州最高裁判事の娘。1840年、奴隷制廃止運動家と結婚。48年、居住地セネカ・フォールズで、自ら中心となり女性の権利のための大会を開催。大会では、彼女の起草になる女性の独立宣言ともいえる「所感の宣言」、女性参政権を含む諸決議案が採択された。以後、アメリカの女性解放運動は女性参政権運動を軸に展開され、彼女は、7人の子供を育てつつ、運動に理論と方向を与えていった。スタントンは女性参政権に限らず、結婚、宗教などさまざまな側面から広く女性解放を論じ、ときには穏健な女性参政権運動家たちの離反を招いたが、現実的な政治感覚ももち、機知に富んだ評論、講演などを通して人々の心をとらえ、女性参政権運動への一般の支持を広げた。
[有賀夏紀]
『Elisabeth GriffithIn her own right ; the life of Elizabeth Cady Stanton(1984, Oxford University Press, New York)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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スタントン
Elizabeth Cady Stanton
生没年:1815-1902
アメリカ女性解放運動の先駆的指導者。1848年,ニューヨーク州セネカ・フォールズで最初の女性の権利のための大会を開き,その際,女性の独立宣言というべき〈所感宣言〉を起草した。彼女の主張によって大会が採択した婦人選挙権の要求は,アメリカ婦人参政権運動の発端となった。その主張は,自ら発行した新聞《革命》(1868-70)に見られるように,選挙権にとどまらず広く女性解放や社会の問題に及んだ。実務家肌のS.B.アンソニーを生涯の良き協力者に得て,1869年全国婦人参政権協会を設立し,運動の急進派を率いた。
執筆者:有賀 夏紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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スタントン
Elizabeth Cady Stanton
1815~1902
19世紀のアメリカを代表する女性の権利運動の指導者。アメリカ最初の女性の権利集会であるセネカ・フォールズ大会(1848年)の開催を呼びかけて,女性参政権の要求を含む一連の宣言文を起草した。全国女性参政権協会の会長(在任1869~90)などを務める。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のスタントンの言及
【セネカ・フォールズ会議】より
…奴隷制廃止論者,禁酒運動家などを含めた男女約300名が参加,アメリカ女性運動の出発点とされる。奴隷制廃止運動のなかで女性としての差別を体験したモットLucretia C.MottとスタントンElizabeth C.Stantonが会議の発案者となった。会議は,スタントンが独立宣言をもじって起草した,〈すべての男女は平等につくられ〉と唱える〈所感の宣言〉と,男女平等を達成するための11の決議案を採択した。…
【セネカ・フォールズ会議】より
…奴隷制廃止論者,禁酒運動家などを含めた男女約300名が参加,アメリカ女性運動の出発点とされる。奴隷制廃止運動のなかで女性としての差別を体験したモットLucretia C.MottとスタントンElizabeth C.Stantonが会議の発案者となった。会議は,スタントンが独立宣言をもじって起草した,〈すべての男女は平等につくられ〉と唱える〈所感の宣言〉と,男女平等を達成するための11の決議案を採択した。…
【婦人参政権運動】より
…大衆の前で奴隷制廃止を訴えた[グリムケ姉妹]は,自分たちが女性であるためにその行為を非難されたことを知り,奴隷の権利とともに女性の権利を要求するようになった。[L.C.モット]と[E.C.スタントン]も,同様な経験から女性解放の必要性を痛感し,48年,スタントンたちはニューヨークのセネカ・フォールズで女性の大集会を開いた([セネカ・フォールズ会議])。これはアメリカ合衆国における婦人参政権運動の開始を告げる集会となり,ここで採択された〈所信宣言〉には,婦人参政権をはじめ,女性解放のための諸要求が列挙された。…
【ブルーマー】より
…1849年,セネカ・フォールズで禁酒運動のための新聞《リリー》を発行し,女性の権利に関する記事も掲載した。同紙が50‐51年の冬,女性解放運動家[E.C.スタントン]らが新しく着用したパンタロン風の服装を紹介したところ注目を集め,新しい服装は〈ブルーマーズ〉と呼ばれるようになった。彼女自身も他の女性運動家同様これを着用したが,特異な服装のために女性の権利に関する議論が中心から外れることを恐れ,7~8年でやめた。…
※「スタントン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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