出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アルメニア教会
あるめにあきょうかい
西南アジアのアルメニア地方に広まったキリスト教教会の一派。アルメニアにおけるキリスト教伝道は2世紀に始まる。3世紀末には、王家の出身であるグレゴリウスが、当時の国王ティリダテス3世をはじめ多くの国民を改宗させた。このため、彼は「啓蒙(けいもう)者グレゴリウス」「アルメニアの使徒」とよばれた。おそらくアルメニアはキリスト教を公式に採用した最初の国といえよう。451年のキリスト両性論を正統としたカルケドン公会議には自国の戦乱のため参加しなかったが、当教会は6世紀以降、反カルケドンの立場をとって、今日もなおその大半はキリスト単性論を受け入れている。ただし、同じ立場をとる他教会との交流はないといわれる。その後は、ペルシアやイスラム教徒の侵入をはじめ、近世以降はトルコ人やロシア人による迫害の歴史をたどったが、教会を基盤とした民族的結合は固い。彼らの教理は東方正教会と似ており、礼拝は「バシリオス典礼」に基づいている。聖書の翻訳(アルメニア語聖書)も4~5世紀メスロプを中心に完成。また、主の生誕を公現日(こうげんび)(顕現日ともいう。1月6日)を中心に祝っているのも当教会の特色の一つである。
[菊地栄三]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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「アルメニア教会」の意味・わかりやすい解説
アルメニア教会【アルメニアきょうかい】
キリスト単性論を支持するアルメニア人の教会。アルメニアにキリスト教をもたらしたグレゴリオス〔240ころ-332〕にちなみ,グレゴリオス派ともいい,首長はカトリコスと呼ばれる。アルメニアは4世紀に,世界で初めて国としてキリスト教を受け入れた。11世紀にセルジューク朝に征服されるとアナトリアへの移民が起き,中東各地にも広がった。分派としてカトリックとの合同によるアルメニア・カトリック教会がある。
→関連項目アルメニア(国)|アルメニア(地方)|エレバン
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世界大百科事典(旧版)内のアルメニア教会の言及
【キリスト教】より
…帝国外の諸民族,諸国家に対する布教政策は一貫性を欠き,また常時組織的に行われたわけでもない。6世紀にはヌビアへの布教が行われ,単性論に走ったアルメニア教会の引戻し工作が進められた。9~10世紀には帝国の周辺に定住した異民族,なかでもスラブ族への布教が試みられた。…
【グレゴリオス[アルメニアの]】より
…かくしてアルメニアは,4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教として受容した。グレゴリオスは再びカッパドキアに行き,カエサレア主教によって主教に叙階され,帰国後,国王によってアルメニア教会の首長カトリコスに任命された。アガタンゲロスによる伝記が残されている。…
【ソビエト連邦】より
…ロシア正教はロシア人,ウクライナ人,白ロシア人の間だけでなく,モルダビア(モルドバ)人,チュバシ人,ウドムルト人,モルドバ(モルドビン)人,マリ人,コミ人,ヤクート人などの間にも広く普及していた。 同じ[東方正教会]でもグルジアには別個のグルジア正教会があり,アルメニアには東方諸教会系の[アルメニア教会]がある。カトリックはリトアニアに,ルター派はエストニアとラトビアに多かった。…
※「アルメニア教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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