アレクサンドル・ネフスキー(読み)あれくさんどるねふすきー(英語表記)Александр Невский/Aleksandr Nevskiy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アレクサンドル・ネフスキー
Aleksandr Nevskii

[生]1220頃
[没]1263.11.14. ゴロジェツ
ロシアの英雄ウラジーミル大公 (在位 1252~63) 。初めノブゴロドの公に封じられ (36) ,1240年スウェーデン十字軍を奇襲作戦によってネバ河畔で壊滅させ,市とフィンランド湾沿いの通商要地を確保したことにより「ネフスキー」の称号を得る。その後,ドイツ騎士団の侵略に直面したが,42年チュド湖におけるいわゆる氷上の戦いで決定的な勝利を収め,引続くリトアニア (リトワ) の侵入も排除して,北方通商路の安全を維持した。しかし北方の勝利とは逆に,東南方タタール政権キプチャク・ハン国に対しては常に屈従を余儀なくされた。一方では外国権力の圧政に抗する民衆の動きを押えるとともに,他方で周辺諸公のうえに立ってハン廷との間に巧妙な外交手腕を発揮して中小地主貴族と商人層の利益を守りつつ,徴税請負権を含む若干の行政権を委任された。ハン廷でも次第にその実力を認めて,52年キプチャク・ハンは彼がウラジーミル大公位につくことを承認。東北ロシア住民がハン国の徴税吏と紛争を起した際,問題解決のためハン廷へ伺候したが,その帰途死没した。死後ロシア教会により聖人に列せられた。 1725年 (聖) アレクサンドル・ネフスキー勲章が制定され,ロシア革命後の 1942年にも同名の勲章が制定されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アレクサンドル・ネフスキー
あれくさんどるねふすきー
Александр Невский/Aleksandr Nevskiy
(1220ころ―1263)

ロシアの政治家、武将。ノブゴロド公(1236~1251)。1252年からウラジーミル大公。スズダリのヤロスラフ・フセボロドビチ公の子。1240年7月15日ネバ河畔でスウェーデン軍を撃破し、この勝利により「ネフスキー」(「ネバ川の」の意)の名を得た。さらにドイツ騎士団の侵攻に対し、1242年4月5日チュド(ペイプス)湖の氷上の戦いで大勝を得、ロシア北西部に対する外敵の侵入を防ぎ、国民的英雄とされた。卓見のある政治家として、彼はキプチャク・ハン国とは協調しながら、内に大公権力の強化に努めた。ハン国からの帰途、1263年11月14日に死去

[伊藤幸男]

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