デジタル大辞泉 「サンフランチェスコ聖堂」の意味・読み・例文・類語
サンフランチェスコ‐せいどう〔‐セイダウ〕【サンフランチェスコ聖堂】
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランチェスコ僧会の総本山で、教祖の生誕地アッシジ(中部イタリア)にある。聖フランチェスコ没後2年目の1228年に起工、53年に献堂された。14世紀を通じて内外部の装飾が行われたが、今日の外観はほとんど往時のままという。傾斜地を利用して上下2層につくられているため、「上の聖堂」と「下の聖堂」とよび分けられる。南側面にあけられたゴシック式の玄関から入る「下の聖堂」にはロマネスクとゴシックの両様式が共存しており、プランは単廊式の身廊、翼廊およびアプス(後陣)からなっている。身廊は量感のある積柱に支えられた低い半円アーチで、五つの柱間に分割されている。玄関に接する第一の柱間は翼廊のように拡張されて、ほとんどナルテックス(前廊)の役割をしているが、この部分は典型的なゴシック様式である。また身廊には交差リブ穹窿(きゅうりゅう)が架せられているのに対し、翼廊は半円筒形穹窿である。「上の聖堂」はこれとはまったく対照的に純粋のゴシック様式である。プランは単廊式で、側壁に張り出した片蓋柱(かたぶたばしら)によって四つの柱間に分割される身廊、翼廊および多角形のアプスからなり、交差リブ穹窿が架けられている。両聖堂ともほとんどすべての壁面が中世末期の著名画家の作品で埋め尽くされているが、「上の聖堂」のチマブーエによる『キリスト磔刑図(たっけいず)』とジョットの『聖フランチェスコ物語』(一部弟子の手による)がとくに有名。「下の聖堂」にみるチマブーエの『聖母子、天使および聖フランチェスコ』をはじめ、シモーネ・マルティーニ、ピエトロ・ロレンツェッティらの作品は、いずれも美術史上の逸品である。
[濱谷勝也]
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