デメトリオス(読み)でめとりおす(英語表記)Demetrios(Phalereus)

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デメトリオス」の意味・わかりやすい解説

デメトリオス(1世)
でめとりおす
Demetrios Ⅰ
(前336ころ―前283)

マケドニア王(在位前294~前287)。アンティゴノス1世の子。ロードス攻囲(前305)でみせた得意の巨大な台車式ポリヘレス(攻城櫓(こうじょうろ))から、「ポリオルケーテス」Poliorkêtês(攻城者)とあだ名された。父とともにディアドコイ戦争を戦い、紀元前307年アテネ領有、神化を受けた。翌年キプロス島サラミス沖でプトレマイオス(1世)に大勝して父ともどもディアドコイ最初の王号をとなえたがイプソスで敗れ(前301)、のち挽回(ばんかい)してマケドニア王位を得た(前294)。テッサリアに新都デメトリアスを造営リシマコスやピロス王に侵入されて王国を失い、小アジアでセレウコス1世に降伏(前286)、囚(とら)われのまま死去した(前283)。征服の才のみで統治の器量なく、民心を得なかった。

[金澤良樹]


デメトリオス(古代ギリシアの哲学者)
でめとりおす
Demetrios(Phalereus)
(前350ころ―?)

古代ギリシア哲学者政治家。アテネのファレロン区出身。アリストテレス弟子で、紀元前317年マケドニアのカッサンドロスによってアテネの支配者に任ぜられ、改革を行った。前307年、民主制復活のときに亡命し、前297年にアレクサンドリアへ行き、プトレマイオス1世の下で図書館建設し、学術研究に専心した。雄弁術歴史文芸批評など多岐にわたる彼の著作はすべて散逸した。

[篠崎三男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デメトリオス」の意味・わかりやすい解説

デメトリオス[ファレロン]
Dēmētrios; Demetrius Phalereus

[生]前350頃.アテネ,ファレロン
[没]?
古代ギリシア,アテネの雄弁家,哲学者,政治家。マケドニアのカサンドロスによりアテネの僭主に任命されて 10年間統治し,包括的な立法活動を行なって奢侈を制限したり,富裕者に負担のかかっていた公共奉仕を廃止したりした。前 307年民主政の復活とともにテーベへ逃れ,その後アレクサンドリアに行きプトレマイオス1世ソテルに仕え,図書館や美術館の建設に貢献した。

デメトリオス[ファロス]
Dēmētrios; Demetrius of Pharos

[生]?
[没]前214
バルカン半島北西部のイリュリアのファロスの支配者。第2次イリュリア戦争 (前 220~219) でローマ軍に敗れ,マケドニア王フィリッポス5世に取入って反ローマ政策をとらせた。その結果マケドニアはローマに制圧され,ギリシアにおける勢力を喪失した。

デメトリオス
Dēmētrios

前4世紀初頭に活躍したギリシアの彫刻家。ルキアノスは,彼の制作した肖像画コリントの将軍ペリコスの迫真の写実を称賛している。アテネのアクロポリスで発見された2つの銘文によって,彼の活躍期が明らかにされている。

デメトリオス
Dēmētrios

1世紀のローマの哲学者。キュニコス派に属し,カリグラ帝,ネロ帝の時代に活躍,鋭い舌鋒と私生活のきびしさで知られた。ウェスパシアヌス帝に追放された。

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