実定法の規範的意味内容を体系的に解明することによって,裁判をはじめとする法的実践に奉仕するという目的をもつ実用法学のこと。通常,法学といえば,この法解釈学をさすことが多い。これは,古代ローマ以来の長い伝統をもつ法解釈学が,法哲学を除けば,だいたい19世紀までは,法に関する唯一の専門的な学問であっただけでなく,現代でも,法を研究対象とするもろもろの学問の中心に座を占めていることによるところが大きい。法学は,今日では,医学における基礎部門と臨床部門との区分にならって,法哲学,法史学(法制史),法社会学などの基礎(理論)法学と,実用法学とに分けられており,解釈法学,実定法学ともよばれる法解釈学は,法政策学ないし立法学と並んで,実用法学の一分野として位置づけられている。
法解釈学の具体的形態は,各時代・社会の法体制,裁判制度,法学教育などの相違に応じてかなり異なっている。日本の法解釈学は,もともと,法解釈や法律学的構成を体系的かつ教義学的に行うことをおもな活動としていたドイツの法律学Jurisprudenzないし法教義学Rechtsdogmatikの圧倒的な影響のもとに発展してきたものである。一般に,ドイツや日本のような成文法主義のもとでは,制定法の解釈や法律学的構成に重点がおかれるのに対して,イギリス,アメリカのような判例法主義のもとでは,過去の判例の整理や将来の判決の予測が中心となるといわれているが,今日ではあまり大きな相違はみられなくなっている。日本の法解釈学も,法解釈だけでなく,法律学的構成,判例の研究や批評など,かなり多面的な活動を行うようになっており,このような多面的な活動を表すのに,法解釈学という名称は必ずしも適切ではなく,むしろ,最近よく用いられている実定法学という名称のほうが適切であろう。
法解釈学の課題や学問的性格は,その名称に拘泥することなく,法解釈学の名のもとで実際に行われているおもな研究活動に即して解明されなければならない。
法解釈学の基本任務は,裁判その他の法的実践における正義にかなった法的紛争解決のための合理的な規準の形成・提供という実践的課題を,既存の実定法的規準を権威的拘束力のある法的ドグマとして受けいれて,その枠内で実定法の妥当な規範的意味内容を具体的に確定したり継続形成したりするという方法で遂行するところにみられ,このような課題と方法が法解釈学の特殊な学問的性格を作り上げている。法解釈学が端的に正義の実現をめざすのではなく,実定法的規準に拘束されつつ正義の実現をめざすところに,その教義学的性格がみられ,聖書に拘束された神学的教義学との類似が指摘されている。事実,伝統的な法解釈方法の多くは,中世の注釈学派が同時代のスコラ学の聖書解釈技術から借用した手法が,その後の法解釈学においても受け継がれてきたものである。
法解釈学の教義学的性格としては,法的ドグマの確立とそれによる拘束という契機が前面にあらわれがちであるが,次々と生じる新たな法的紛争をいつも正義にかなったしかたで解決できるように,法的ドグマを社会の変化に応じて多様に創造的に展開してゆくという契機もまた,教義学的性格に不可欠のものであることが見落とされてはならない。
このような基本任務を遂行するために日本の法解釈学がその名のもとに実際に行っているおもな活動は,おのおのの活動の方法論や比重のおき方などについてはかなり見解の相違もみられるが,法解釈,法律学的構成,判例研究の三つである。
(1)法解釈 法解釈学という名称が示しているように,日本では,この活動が中心的な位置を占めてきているが,一般的に成文法主義のもとでは,第一順位の法源である制定法の条文の意味内容を明らかにすることが法解釈学の出発点である。法解釈においては,もろもろの立法資料を手がかりに立法者が制定当時に意図していた歴史的意味内容を探究することが基礎作業として不可欠であるが,法解釈の目標は,制定法の条文を手がかりにそれが適用される時点で法的紛争の正義にかなった解決にもっとも適合していると判断される意味内容を確定することであるから,立法者意思説のように,歴史的解釈が唯一の正しい解釈方法だとするのは適切ではない。法解釈の方法については,むしろ,制定法の立法目的規制対象における利害の対立状況・法適用の結果などについて利益衡量,政策的考慮などの価値判断を加えつつ目的合理的に妥当な意味内容を確定する目的論的解釈を中心に,歴史的解釈,文理解釈,論理解釈などの方法を適宜組み合わせて用いられているのが実情であろう(〈法の解釈〉の項参照)。
(2)法律学的構成 法解釈学は,法解釈活動の一環として,制定法の諸命題に含まれている概念や理論の意味内容,相互連関,構造的位置などを明らかにする必要があるだけでなく,必要に応じて,既存の法律学的構成に再検討を加え,新たな法律学的構成を行う任務をももっている。とくに19世紀ドイツのパンデクテン法学は,概念法学として批判されることが多いが,このような活動によって法教義学の創造的性格をいかんなく発揮し,裁判や立法にも大いに寄与したことも正当に評価されてしかるべきである。
法律学的構成の具体的意味は人によってかなり異なって理解されている。法的推論過程の論理的構成全体と同一視する見解もあるが,ドイツ流の法律学的方法論の伝統に従って,(a)法的概念の意味内容をその目的に適合するように限定して明確にする概念構成,(b)複雑多様な法的問題を適切かつ効率的に処理するために,もろもろの法的概念や法命題の相互関係を明らかにしながら,それらを論理的に組み合わせて整理・統合する理論構成,(c)個々の法制度あるいは法秩序全体について,そのなかのもろもろの法的概念,法命題を統一的原理から矛盾なく構成し,総合的に把握し展開する体系構成(体系化)の三つに大別するのが適切であろう。
(3)判例研究 日本のような成文法主義のもとでは,判例が法源か否かについては争いがあるが,よほどのことがないかぎり確立された判例に従うという裁判実務上の慣行は,その制度的正統性を社会的にも承認されているとみてよい。また,判例の積重ねによって,制定法の具体的意味内容が確定・継続形成されてきているだけでなく,譲渡担保,内縁,共謀共同正犯など,特殊な法的制度・概念も形成されてきている。したがって,現実に裁判規範として機能している実定法の具体的意味内容を知るためには,判例を無視することはできなくなっており,判例研究は,その意義や方法についてはかなりの見解の相違もみられるが,法解釈学の現実の活動のなかでしだいに比重を高めてきている。
判例研究のおもな任務は,判決のなかから判例として先例的拘束力をもつ一般的規準(英米法ではレイシオ・デシデンダイratio decidendiとよばれる)を抽出し,実定法体系のなかでどのような位置を占め,制定法のどの部分をどのように補完ないし変更しているかを明らかにすることである。また,たんに将来の裁判の予測だけでなく,判例に対して批判的な論評を加えることによって,より正義にかなった合理的な裁判規範の形成に働きかけることも,その目的とすべきである。
法解釈学はユリス・プルデンティアjuris prudentiaの伝統を受け継ぐものであり,理論知と実践知(ないし賢慮)--エピステーメーepistēmēとフロネシスphronēsis(ギリシア語),スキエンティアscientiaとプルデンティアprudentia(ラテン語)--という,アリストテレス以来の古典哲学の知の形態の区分に従うならば,もともと,賢慮ないし実践知に関わる実践哲学的な活動である。
にもかかわらず,形式論理的・実証主義的な知の見方が支配的となった近代以降においては,そのときどきの支配的な論理学や科学概念の基準を外から持ち込んで,法解釈学の学問性を批判したりその科学化をめざしたりすることが,法律学的方法論の基調となっていた。その代表的な手法は,(1)公理論的方法による演繹的体系化および(2)経験科学的方法とその研究成果の導入である。
(1)の手法は,一時は概念法学批判とともに葬り去られていた観もあるが,近時,法適用過程へのコンピューターの応用の可能性が追求されるなかで,再び脚光を浴びている。法適用過程の論理構造を基本的に形式論理的な演繹推論の一種としてとらえることは理論的には可能であり,この手法が一定範囲内で予測可能性の確保や恣意専断の排除に寄与することも事実である。だが,法適用過程の核心は,真偽を二値的に評価できる形式論理的推論が用いられる以前の段階にあり,公理自体の選択,自然言語で表現された法的概念・命題の解釈や適用,事実関係の法的分析・構成などに関してこの手段の限界がみられ,いずれにしろ,法解釈学の活動の全面的な演繹的体系化は不可能である。
他方,(2)の手法については,例えば判決などの経済的社会的効果を各種の経験科学的技法を用いて測定することによって,利益衡量や政策的考慮などの法的価値判断を科学的データに基づいて合理的に行うことが可能となるように,経験科学的方法やその研究成果の積極的な導入によって法解釈学の活動が一般的により合理的になることはまちがいない。だが,科学的データがいつもそれだけで法の解釈・適用の決め手になるとは限らず,法独特の規範的価値判断を加えなければ利用できない場合も多いし,その利用のしかたも人権,適正手続(デュー・プロセス・オブ・ロー)などの法的価値によって制約されている。それゆえ,法解釈学自体を完全に経験科学化することも,不可能ないし不適切である。なお,法律学の活動を判例研究だけに限定することによって科学化しようとする試みもあるが,それによって価値判断排除というそのねらいが実現できるかどうか疑問であり,その実践的課題の縮減についても問題が多い。
法解釈学の学問的性格は,なんらかの形式論理的・実証主義的な外的基準によってとらえ尽くすことはできず,法的正義の実現というその実践的課題の合理的な遂行のために形成されてきた法独特の思考様式・枠組みに組み込まれている人間的叡知を,そのあるがままにとらえてそれにふさわしい知的位置づけを与えうる地平で解明されなければならない。法解釈学は,正義問題に関わる実践的議論が合法性原理・裁判手続などによって法的観点から制度化されて自立的な議論領域として確立されている実践哲学的地平での活動であり,その固有の特質である教義学的思考の意義も,認識的機能ではなく,このような地平での実践的機能の観点からとらえられるべきである。教義学的思考には,たしかに,外見的な基礎づけとか法的ドグマの硬直化など,自由法論やリアリズム法学によって誇張されたきらいもある弊害がみられることは否定しがたい。けれども,歴史的・社会学的等々の科学的分析や評価的・政策決定的な哲学的考察などの探究学的思考によって適切に補完され,ドグマ化と非ドグマ化,教義学的思考と探究学的思考との相互移行が円滑に行われるならば,安定性と柔軟性とを兼ね備えた合理的な法的規準の形成・提供という法解釈学の基本任務の遂行にとって不可欠な実践的機能をもっていることも正当に評価されてしかるべきである。
執筆者:田中 成明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
実定法の解釈を任務とする法学の一分科。実定法の原則を体系化し、そこからさまざまな法律問題について正しい解釈をみいだして法実務を指導、批判しようとする学問分野である。その方法をめぐってはさまざまな学派の主張があり、その学問的性格を否定する批判者もある。日本でも宮沢俊義(としよし)、来栖(くるす)三郎、川島武宜(たけよし)、長谷川正安(まさやす)などが「法解釈学の客観性」に疑問を提起して、論争が行われた。
[長尾龍一]
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…広義には法を対象とするさまざまの学問の総称である。その中には法解釈学,法政策学のほか,法史学(法制史),法社会学,比較法学などの法現象を事実認識の対象とする経験諸科学,および法の概念や法学の学問的性格などの問題を取り扱う法哲学が含まれる。このうち法解釈学は,法哲学とともに最も古くから発達し,かつ法学者の大多数によって研究されている学問であり,ふつう法学または法律学といえば法解釈学をさす。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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