インドの文化,宗教,歴史などの文物一般を研究の対象とする学問の総称。シナ(中国)学などとともに東洋学の一部門を形成している。この場合のインドは,現在のインド(バーラト)を含む〈インド亜大陸〉と呼ばれる地域を指す。ときにはミャンマー,チベット,スリランカ等におよぶインド文化圏を意味することもある。インドロジーあるいはインディック・スタディーズIndic Studiesは,主として古代・中世のインド研究に用いられ,第2次大戦後,アメリカを中心に盛んになった近・現代インド研究に対してはインディアン・スタディーズIndian Studiesという語が用いられる場合があるが,明確な線は引き難い。
ヨーロッパ人がインドの文物に関してなんらかの知識をもつにいたったのは,紀元前数世紀にさかのぼり,17世紀にはサンスクリット(梵語)に精通したイエズス会の宣教師も現れるようになった。しかし真にインド学が成立したのは18世紀の後半で,イギリスのインド統治の直接の契機となったプラッシーの戦(1757)以後のことである。1783年イギリスのジョーンズW.Jones(1746-94)がカルカッタの高等法院判事として赴任し,翌84年にはベンガル・アジア協会Asiatic Society of Bengalを創設してインド学の礎石を置き,同協会の雑誌《アジア研究Asiatic Researches》によってインド研究のまず第一歩が踏み出された。この84年にはまた,東インド会社の書記ウィルキンズC.Wilkins(1749-1836)が,ヒンドゥー教の重要な聖典である《バガバッドギーター》の英訳を発表した。これはサンスクリット原典が直接西洋の近代語に訳された最初のものである。ジョーンズとウィルキンズはインド学の父といわれることがある。その後,コールブルックH.T.Colebrooke(1765-1837)はジョーンズの事業を継承・発展させ,法典,宗教,文法学,数学など多方面に精通し,インド言語学・考古学の基礎を築いた。
ヨーロッパで最初にサンスクリットを教えたのは,ベンガル・アジア協会設立に関与したハミルトンA.Hamilton(1762-1824)で,95年,フランスの東洋語学校においてであった。彼から教えをうけた詩人シュレーゲルF.von Schlegel(1772-1829)が,ドイツの最初のサンスクリット学者となった。1814年には,パリのコレージュ・ド・フランスに,他にさきがけてサンスクリットの講座が創設され,シェジA.L.Chézy(1773-1832)が初代教授となった。1818年には,シュレーゲルの兄ウィルヘルムA.Wilhelm von Schlegel(1767-1845)が,ボン大学の初代サンスクリット教授に就任し,それ以来ドイツの諸大学に講座が設けられるにいたった。イギリスにおいて最初にサンスクリットが教えられたのは1805年のことであるが,講座が設置されたのは遅く,32年オックスフォード大学においてであった。初代教授には,ベンガル・アジア協会の有力会員であったウィルソンH.H.Wilson(1786-1860)が就任した。その後はロンドン,ケンブリッジ,エジンバラの各大学,その他欧米の主要な大学に開講され,19世紀から20世紀にかけてインド学は長足の進歩をとげた。1816年,シェジに師事したボップF.Bopp(1791-1867)は,サンスクリットとヨーロッパの諸言語との親縁関係を証明し,それによって比較言語学が独立の学問として成立した。ヨーロッパにおけるインド研究は,ドイツのベートリンクOtto Böhtlingk(1815-1904)とロートR.Roth(1821-95)による膨大な《梵語辞典Sanskrit-Wörterbuch》全7巻(1852-75)として結実した。これは19世紀ヨーロッパにおける最大の研究成果である。またオックスフォード大学のミュラーF.Max Müller(1823-1900)の功績も著しく,《リグ・ベーダ》の原典を注釈とともに出版し,比較宗教学を創始し,権威ある翻訳叢書《東方聖典Sacred Books of the East》全50巻を監修した。その後,ベーダ研究の領域ではオルデンベルクH.Oldenberg(1854-1920),ヒレブラントA.Hillebrandt(1853-1927)らの俊秀が輩出した。その他,哲学,物語文学等の種々の領域で,インド研究は顕著な進展を示した。仏教研究についてみると,リス・デービッズT.W.Rhys Davids(1843-1922)が,ロンドンにパーリ聖典協会Pāli Text Societyを設立して以来急速に発展した。また,セナールÉ.C.Sénart(1847-1928),レビS.Lévi(1863-1935),ド・ラ・バレ・プッサンL.de la Vallée Poussin(1869-1937)らが仏教研究に果たした貢献も大きい。
日本においては,オックスフォード大学のミュラーに師事した南条文雄が,1885年東京大学において梵語学を開講し,近代的インド学,仏教学の端緒を開いた。1901年,東京大学に梵語学の講座が創設され,同じくミュラー門下の高楠順次郎が初代教授となり,その門下に逸材が輩出した。しかし仏教国日本の特殊事情を反映して,仏教学の研究が主流をなしている。
執筆者:前田 専学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
主として古代・中世の南アジアの宗教,文化,歴史などを文献学的・言語学的に研究する学問。対象として扱う文献はヴェーダ文献,サンスクリット文献,パーリ語文献,プラークリット文献,タミル語文献など多岐にわたる。1784年ジョーンズによって創設されたベンガル・アジア協会から始まる。1800年前後にフランス,ドイツ,イギリスの大学に講座が開設された。その後,インド,欧米各国,日本などの研究者も加わり,南アジア研究に多大な貢献をなしている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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