ウィルキンズ(読み)うぃるきんず(英語表記)Maurice Hugh Frederick Wilkins

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィルキンズ」の意味・わかりやすい解説

ウィルキンズ
うぃるきんず
Maurice Hugh Frederick Wilkins
(1916―2004)

イギリスの生物物理学者。ニュージーランド生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、1940年バーミンガム大学で物理学の学位を取得、第二次世界大戦中はアメリカでの原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)に参加した。戦後、生物物理学の研究に着手、1946年ロンドン大学キングズ・カレッジに移って、ウイルスや核酸の研究を始めた。1951年ウィルキンズのリーダーシップのもとに構造解析に取り組んでいたロザリンド・E・フランクリンが、DNAデオキシリボ核酸)の鮮明な結晶パターンを示すX線写真の世界最初の撮影に成功するとともに、水分の量(湿度)によって散乱のパターンが変化することも確認した。二重螺旋(らせん)構造を示唆するこの結晶DNAのX線写真は、ワトソンクリックが1953年に提唱した正しい二重螺旋構造に到達する基礎を与えた。1962年、DNAの立体模型のX線回折による実証という業績により、ワトソン、クリックとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。1981年以降ロンドン大学名誉教授。

[石館三枝子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィルキンズ」の意味・わかりやすい解説

ウィルキンズ
Wilkins, Sir George Hubert

[生]1888.10.31. 南オーストラリア,マウントブライアンイースト
[没]1958.12.1. マサチューセッツ,フラミングハム
イギリスの探検家。極地調査に飛行機と潜水艦の利用を推進した。アデレード鉱山学校に学び,また飛行技術を修得。 1912年のバルカン戦争に写真家として参加。 13~16年にはカナダの北極探検隊の写真家として活躍。 17年オーストラリア空軍に入隊。 20~21年には南極探検,23~25年には熱帯オーストラリアの探検を行なった。 26年から北極未踏地帯の飛行機による探検を開始。 28年飛行機でバロー岬からスバールバル (スピッツベルゲン) まで 3380kmを 20時間 30分で横断し,ナイト爵に叙せられた。 31年には潜水艦『ノーチラス』の艦長として北極海を北緯 82°15′の地点まで航行。その後アメリカ軍の顧問となる。

ウィルキンズ
Wilkins, Maurice Hugh Frederick

[生]1916.12.15. ニュージーランド,ポンガロア
[没]2004.10.5. イギリス,ロンドン
イギリスの生物物理学者。ケンブリッジ大学卒業 (1940) 。第2次世界大戦中はアメリカで原子爆弾の研究開発に従事。 1946年ロンドン大学キングズ・カレッジに戻り,デオキシリボ核酸 DNAの構造決定やリボ核酸 RNAの結晶化を研究。 DNAの構造に関するX線解析データは,J.ワトソン,F.クリックが二重螺旋モデルを考案する際の重要な資料となった。 1962年核酸の構造決定の業績により,クリック,ワトソンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ウィルキンズ
Wilkins, Sir Charles

[生]1749/1750
[没]1836.5.13. ロンドン
イギリスの東洋学者。 1770年,東インド会社の書記としてベンガルに渡り,W.ジョーンズを助けてベンガル・アジア協会の創設に尽力。帰国 (1786) 後もインド研究に専念し,初代インド図書館長となった (1800) 。『リチャードソン・ペルシア=アラビア語辞典』の新版編纂のほか,『ヒトーパデーシャ』『シャクンタラー』の翻訳がある。

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