古代インドのバラモン教の聖典〈ベーダ〉4種のうちの一つ。リグとは〈賛歌〉の意。バラモン教の伝統では,祭式において神々を祭場に招請し,神々をたたえるホートリhotṛ祭官に属する。前1200-前1000年を中核とする数百年の間に成立した。《リグ・ベーダ》の〈サンヒター(本集)〉は,〈リチュṛc〉すなわち神々への賛歌を集大成したものであるが,インド最古の文献として,古代インドの宗教を知るうえで最も重要視されている。伝承によれば,このベーダは5派に分かれて継承されたといわれるが,現存するのはシャーカラŚākala派とバーシュカラBāṣkala派の2派のもののみである。このうち,現在もっぱら用いられるシャーカラ派の伝えるところによれば,サンヒターは全10巻より成り,韻文で著された1017編の賛歌(〈バーラキルヤvālakilya〉と呼ばれる補遺11編を含めれば1028編)をおさめる。これによって知られる古代インドの宗教は明らかに多神教で,賛歌の対象となる神格の数はきわめて多い。神格の多くは火神アグニ,風神バーユなどのような自然現象を神格化したものであるが,そのほかに,工巧神トゥバシュトリTvaṣṭṛ,意力を神格化したダクシャDakṣa,言語を神格化した女神バーチュVācなど多彩な神格が認められる。最も尊崇された神は武勇神インドラで,《リグ・ベーダ》賛歌のほぼ4分の1がこの神にささげられている。このほか重要な神格として,司法神バルナ,神酒ソーマなどが挙げられる。これらの諸神格は,人間を理想化あるいは超人化した姿に描かれ,あらゆる美徳を備えたものとしてたたえられるが,同時に人間の弱点を併せもつこともある。《リグ・ベーダ》において神々と人間とは,一種の相互依存関係にあり,人間が祭式を行って神を賛美し,供物をささげれば,神はそれに相応して人間の願望を成就せしめると考えられていた。したがって,純粋かつ敬虔な信仰といったものは,《リグ・ベーダ》においては希薄である。このような傾向は,のちにいわゆる祭式万能主義を生み出し,祭式の執行者であるバラモン階級の絶対的権威を強調するバラモン至上主義をもたらした。
また《リグ・ベーダ》においては,ギリシア・ローマの神話におけるような最高神に相当する神格が本来存在せず,神々相互の間の上下関係もない。このような雑然とした多神教の世界に飽き足らず,唯一絶対の最高神,宇宙創造の根本原理を探究しようとする傾向がしだいに強まり,《リグ・ベーダ》の最新層である第10巻には,唯一の絶対者からの宇宙創造を説く,いわゆる哲学的賛歌が数編認められる。黄金の胎児からの宇宙創造を説く〈ヒラニヤ・ガルバHiraṇya-garbhaの歌〉(10巻121編),プルシャPuruṣa(原人)の身体各部分から万物が生成されたとする〈プルシャ・スークタPuruṣa-sūkta〉(10巻90編)などがそれであるが,なかでも,中性的原理である〈かの唯一なるものtad ekam〉から全宇宙が展開したと語る〈ナーサディーヤ・スークタNāsadīya-sūkta〉(10巻129編)は,《リグ・ベーダ》における絶対者の探究,いわゆる哲学的思索の最高潮を示している。このような《リグ・ベーダ》後期の傾向は,のちのウパニシャッドにおける梵我一如の思想をはじめ,インド思想の大勢を支配することとなった一元論的あるいは一神論的思潮の萌芽となった。《リグ・ベーダ》にはそのほか,〈ヤマYamaとヤミーYamīとの対話賛歌〉(10巻10編),〈賭博者の歌〉(10巻34編)など,宗教あるいは祭式との関連が外見上認められない異色の賛歌も数編おさめられている。
→ベーダ
執筆者:吉岡 司郎
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インド最古の聖典ベーダの一つ。そのサンヒター(本集(ほんじゅう))部分は紀元前1200年を中心につくられた。10巻よりなり、多数の神々への賛歌1028編(1万0462詩節)からなる。
[松濤誠達]
…両者の移動にはそれぞれいくつかの波があり,一挙におこなわれたわけではない。インドのパンジャーブでは,インド最古の文献《リグ・ベーダ》という神々の賛歌集が前1200‐前1000年ころに編纂され,おそらくこれとそう違わない時代に,イランではゾロアスターが現れ,聖典《アベスター》の最古層はこの時代の言語を示している。この最古層と《リグ・ベーダ》とは,言語のうえできわめて類似し,音の変化には一定の法則が見られ,宗教・文化に関する共通のことばが多い。…
…その出土品の中には当時の宗教や慣習を暗示しているものがあり,インダス文明の担い手は母神崇拝,樹神崇拝,動物崇拝,性器崇拝などを行い,ヨーガの修行や沐浴を実践していた可能性があるが,このインドの最初期の宗教に関しては推測の域を出ない。この文明の終末とほぼ同じころ,アーリヤ人がヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに進入し,この文明の遺跡に近いパンジャーブ地方に定着して,前1200年を中心に《リグ・ベーダ》を編纂した。その後,前500年ころまでに主要なベーダ聖典が編纂され,いわゆるバラモン教の根本聖典が成立した。…
…インド神話は,一般にベーダの神話と,叙事詩・プラーナ聖典の神話に大別される。
【《リグ・ベーダ》の神話】
前1500年から前900年ごろに作られた,最古のベーダ文献である《リグ・ベーダ本集》には,一貫した筋の神話は見いだされないが,事実上の作者である聖仙(リシ,カビ)たちは,当時のインド・アーリヤ人が持っていたなんらかの神話を前提として詩作したと思われる。特に,《リグ・ベーダ》において最高神的地位にあるインドラ(帝釈天)を中心とする神話の存在がうかがわれ,実に全賛歌の約4分の1が彼に捧げられている。…
…前2300‐前1800年を中心にインダス文明が栄えたが,この文明の文字がまだ解読されず,この文明を担っていた民族の宗教・思想は憶測の域を出ない。この文明の終末とほぼ同じ頃,アーリヤ人が北西インドに進入し,前1200年を中心に《リグ・ベーダ》を編纂した。その後,前500年ころまでに主要なベーダ聖典が成立し,バラモン教の根本聖典が整備された。…
…ベーダとは元来〈知識〉を意味するが,特に宗教的知識の意味に用いられ,さらに転じてバラモン教の聖典を意味するようになった。ベーダ文学の中核をなしているのは4種のサンヒター(本集)で,このうち諸神を祭壇に勧請してその威徳を賛称するための自然神賛歌など1000余種を集めた《リグ・ベーダ》本集を中心とし,これに歌詠のための《サーマ・ベーダ》,祭式供犠のための《ヤジュル・ベーダ》,攘災招福のための呪詞を集めた《アタルバ・ベーダ》を合わせて4ベーダという。この4ベーダ本集にはおのおのこれに含まれる賛歌祭詞の適用法とその起源,目的,語義などを説明した散文の神学的文献ブラーフマナが付随し,さらにこれを補足して祭式の神秘的意義を説き,特に森林において伝授される秘法を集めたアーラニヤカ(森林書),梵我一如の要諦を説く哲学的文献ウパニシャッド(奥義書)が付随している。…
…マントラmantraすなわち祭式の中でとなえられる賛歌,歌詠,祭詞,呪文を集大成した文献群をさし,日本では通例〈本集〉と訳している。《リグ・ベーダ》は賛歌を,《サーマ・ベーダ》は歌詠を,《ヤジュル・ベーダ》は祭詞を,《アタルバ・ベーダ》は呪文を集成したそれぞれの〈サンヒター〉を有し,各ベーダの中核的部分としている。ただし,たとえば《リグ・ベーダ》には《リグ・ベーダ・サンヒター》という単一の文献が存在するわけではなく,ベーダを伝承する学派の分裂に伴い異なった伝本が伝えられるようになり,各ベーダとも何種類かの異なるサンヒターを含んでいる。…
…その性状は明らかでないが,穀物を原料とするアルコール飲料と推定されている。インド・アーリヤ人の飲料としてはソーマとともに最も古いものの一つで,いずれも《リグ・ベーダ》にその名を記されている。ソーマが神聖な飲料として,濃厚な宗教的色彩を有していたのに対し,スラー酒はきわめて庶民的な飲料であったらしい。…
… 考古学,言語学の最近の研究成果によって,インダス文字がドラビダ系言語であることはほぼ確定し,また,インダス文明の担い手もドラビダ民族ではないかと推論されている。インド・アーリヤ民族最古の文献といわれる《リグ・ベーダ》にはドラビダ諸語からの借用が多くみられ,前8世紀以前にインド・アーリヤ文化に対するドラビダ文化の影響があったと考えられる。 ドラビダ民族の多い南インドがインド・アーリヤ文化の影響を受けるのは6~7世紀であり,この時期のパッラバ朝ではグプタ朝に形成されたヒンドゥー的秩序がみられた。…
…インドの切手に英語のIndiaとともに,デーバナーガリー文字でバーラトと印刷されているが,これはバーラタバルシャの略で,正式国名ともなっている。バラタ王は《リグ・ベーダ》時代の遠い昔に,北インドに雄飛した伝説的帝王で,その子孫はバラタ族と呼ばれた。大叙事詩《マハーバーラタ》に主役を演ずるクル族とパーンドゥ族は,ともにバラタ族に属する王族である。…
…つまり,バラモン教とはベーダの宗教であるといってさしつかえない。 バラモン教は,《リグ・ベーダ》《サーマ・ベーダ》《ヤジュル・ベーダ》《アタルバ・ベーダ》の4ベーダ,およびそれに付随するブラーフマナ,アーラニヤカ,ウパニシャッドを天啓聖典(シュルティ)とみなし,それを絶対の権威として仰ぐ。そして,主として,そこに規定されている祭式を忠実に実行し,現世でのさまざまな願望,また究極的には死してのちの生天を実現しようとする。…
…ヒンドゥー教の主神の一つ。すでにインド最古の聖典《リグ・ベーダ》で,全宇宙を3歩で闊歩したとたたえられている。彼のおおいなる3歩の中にいっさい万物は安住し,彼の最高歩(最高天)には蜜の泉があるとされた。…
…ヒンドゥー教は宗教というよりもむしろ生活法a way of lifeであるといわれるのも,以上のような性格に由来している。
[歴史]
前2300‐前1800年を中心に,現在のパキスタンの領内にあるモヘンジョ・ダロとハラッパーを二大中心地としてインダス文明が栄えていたが,この文明の終末とほぼ同じころアーリヤ人が西北インドに進入し,この文明の遺跡の近く,パンジャーブ(五河)地方に定着して,前1200年を中心に《リグ・ベーダ》を編纂した。その後,前500年ころまでに主要なベーダ聖典が編纂され,バラモン階級を頂点とするバラモン教の全盛時代を迎えた。…
…バラモン教は,前1500年前後にインド亜大陸に侵入したインド・アーリヤ民族の民族宗教であるが,祭式を行って神々に供物をささげ,それによって神の恩恵を期待するという祭式主義をその根幹としている。ベーダはこの祭式の実用のために成立し,つねに祭式との密接な関連のもとに発達した文献群で,祭式を実行する祭官の役割分担に応じて,(1)《リグ・ベーダ》,(2)《サーマ・ベーダ》,(3)《ヤジュル・ベーダ》,(4)《アタルバ・ベーダ》の4種に分けられる。当初は前3者のみが正統の聖典として〈3ベーダ〉と呼ばれたが,後世になって,通俗信仰と関連しつつ成立したアタルバ・ベーダも第4のベーダとして聖典の列に加えられた。…
…イラン語派の古いアベスター文献の言語とは,英語とドイツ語よりさらに近い関係にある。ベーダ語はいわゆるベーダ文献を綴った言語の総称だが,最古の《リグ・ベーダ》賛歌集から古典サンスクリットの文法を著したパーニニの時代までには,推定で500年以上の歴史があり,その間に徐々にベーダ語も変化し,古典サンスクリットに近づいている。 以下に例として《リグ・ベーダ》から賭博者の悲嘆の歌(10巻34歌2)の一節をあげ,英訳(逐語訳)を添える。…
※「リグベーダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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