インド演劇(読み)いんどえんげき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インド演劇」の意味・わかりやすい解説

インド演劇
いんどえんげき

インド演劇の起源については、ベーダ聖典にその萌芽(ほうが)を認めるもの、人形劇や影絵劇の先行を前提とするもの、ギリシア演劇の影響を想定するものなどの意見があるが、いずれも推測の域を出ない。インド最古の演劇理論書『ナーティヤ・シャーストラ』には、演劇の起源について次のような神話的物語が記されている。堕落した世界秩序に苦しんだ神々は、見ること聞くことができ最下層民のシュードラも楽しめる娯楽の創造を梵天(ぼんてん)に懇請した。これに応じて、梵天は四つのベーダ聖典(リグ、サーマ、ヤジュル、アタルバ)からそれぞれ暗唱、唱歌、しぐさ、情調という要素を取り入れた演劇ベーダを創作し、シバ神とその神妃パールバティーは舞踏を寄与した。この神話的物語は、史実性は別にして、インド演劇が古くから舞踏と音楽と不可分の関係にあったことを示唆している。

[町田和彦]

古典演劇

ナーティヤ・シャーストラ』は、後世の古典サンスクリット演劇に対し絶大な権威をもち、およそ演劇に関するほとんどすべての事柄にわたって規定し、戯曲の創作と鑑賞にはこの規範の知識が要求された。とくに、広義の演技(しぐさ、身ぶり、情緒、台詞(せりふ)、扮装(ふんそう))が観客に及ぼす劇的心理効果を最重要視した「ラサ」(原義は「味」、転じて情調)の理論は特筆に値する。古典戯曲の種類でもっとも基本的かつ代表的な形式は「ナータカ」とよばれ、古来の説話に基づいた内容をもち、話の発端からハッピー・エンドである目的成就までの5段階に区分できる筋の構成をもつことなどが規定されている。言語は簡素な散文と、修辞・韻律技巧を凝らした韻文の両方が用いられた。また同一戯曲のなかで、バラモン、王、将軍、王妃などの社会的身分の高い者は古典語であるサンスクリットを、一般の婦人、子供、社会的身分の低い男子は俗語である各種プラークリットをと使い分けられていた。

 現存する最古のサンスクリット劇は、写本断片として中央アジアから出土したアシュバゴーシャ(100ころ)の仏教劇である。以降の完全な姿として今日まで伝わる著名な作品は、バーサ(300ころ)の恋愛劇『夢のバーサバダッター』、シュードラカ(350ころ)の恋愛劇『土の小車』、ビシャーカダッタ(400ころ)の政治劇『ラークシャサと印章』と続く。しかし名実ともに古典サンスクリット劇作家の最高峰はカーリダーサ(400ころ)である。彼の三つの恋愛劇『シャクンタラー』『ビクラマとウルワシー』『マーラビカとアグニミトラ』が知られている。とくに『シャクンタラー』の名声は高く、18世紀末から英訳や独訳によりヨーロッパに紹介され、ゲーテが絶賛したことは有名である。カーリダーサ以後は、7世紀のハルシャバルダナの『ラトナーワリー』、8世紀のババブーティの『続ラーマの所行』、バッタ・ナーラーヤナの『結髪』、9世紀のムラーリの『たぐいなきラグの後裔(こうえい)』、10世紀のラージャシェーカラの『幼童のためのラーマーヤナ』など数々の佳作が知られている。しかしその後のサンスクリット劇は、演劇論の細則に縛られて質的にはみるべきものがなく、イスラム教徒のインド侵入と支配と相まって衰退していく。以後19世紀の近代演劇の始まりまで、演劇はインド文学史の表面から姿を消す。

[町田和彦]

民俗演劇

民俗演劇として北インドを中心に今日まで伝統が続いているものに、有名なラーマ劇とクリシュナ劇がある。それぞれヒンドゥー教のもっともポピュラーな神にまつわる神話に題材をとった宗教的色彩の強いもので、起源はラーマ信仰、クリシュナ信仰が盛んになった16世紀ごろとされる。また起源の不明な「ナウタンキー」、あるいは「スワーング」とよばれる、太鼓の調子にあわせたコケティッシュな身ぶりや歌が特徴の大衆笑劇がすでに18世紀には全北インドで広まっていた。

[町田和彦]

近代演劇

イギリスがインドの植民地化を進める転機となった1757年のプラッシーの戦いの前後から、おもにイギリス人によりカルカッタ(現コルカタ)、ボンベイ(現ムンバイ)に劇場が建てられ始めた。しかしインドの実質的な近代演劇史は、19世紀の中葉、イギリス文化の接触・摂取が早かったカルカッタを中心とするベンガル語圏、やや遅れてベナレス(ワーラーナシ)を中心とするヒンディー語圏で始まる。いずれも富裕な知識階級のサロン的雰囲気のなかでアマチュア演劇として出発した。最初はシェークスピアなどの英語劇やカーリダーサなどの古典サンスクリット劇の翻訳・翻案が主流であった。

 しかしイギリス文化の崇拝とは別に、当時のインド知識階級の間で芽生えつつあった民族意識の覚醒(かくせい)、因習に縛られた社会矛盾への疑問を反映して、演劇は詩や小説など他の文学ジャンルに先駆けて啓蒙(けいもう)的役割を果たし始めた。現在インドの公用語であるヒンディー語の散文確立の功績者であり、この時期の代表的劇作家はバーラテンドゥ・ハリシュチャンドラ(1850―85)である。彼は英語、サンスクリット、ベンガル語からの翻訳劇のほかに、同時代の社会を揶揄(やゆ)した笑劇『暗闇(くらやみ)の町』『ベーダ聖典に規定された殺生は殺生にあらず』、寓話(ぐうわ)劇『インドの惨状』などを創作し、協力者とともに積極的な上演活動もした。

 またほぼ同時期にボンベイのパールシー教徒により設立された娯楽に徹した商業演劇団は、各地で一種のオペラ劇を巡業し、大衆の絶大な人気を博していた。これらの商業演劇は、20世紀の初期から盛んになり始めた映画産業に吸収されていった。

 ベンガル語圏ではタゴール(1861―1941)一族を中心に演劇の順調な発展が進んだが、ヒンディー語圏ではジャエシャンカル・プラサード(1889―1937)までやや停滞した。プラサードの代表作は、歴史、民族、文化意識の覚醒や高揚をうたった史劇『スカンダグプタ』『チャンドラグプタ』、問題劇『ドゥルワスワーミニー』などがある。なお、1936年に最初のラジオドラマがインド国営放送で放送されて以来、最大の娯楽である映画とともに今日まで発展を続けている。独立後のインドの演劇の発展は目覚ましく、53年には国立音楽演劇アカデミーが、59年にはその付属機関国立演劇学校が設立され、演劇関係者の育成促進とともに、古典劇を含むインド諸言語の演劇の研究促進にあたっている。

[町田和彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インド演劇」の意味・わかりやすい解説

インド演劇
インドえんげき

インド演劇は,創造神ブラフマーによって生れたとする神話的伝説が,演劇理論書『ナーティヤ・シャーストラ』に記されている。インドでは演劇をナーティヤというが,この語は劇の筋と関連をもつ舞踊の意味で,インド舞踊と密接な関係をもち,せりふとともに身ぶり表現,表情,扮装が演劇の重要な部分を占める。インド演劇は,伝統的なサンスクリット劇,民俗劇,近代劇に大別できる。歌,踊り,マイムなどから成る民俗劇は宗教儀礼に伴う歌謡・舞踊などに起源をもつ。サンスクリット劇のような文学性は欠け,即興性が強く,作者も不詳。神話や伝説の英雄武勇譚や恋愛譚,民間信仰などが取上げられる。 11~12世紀のイスラム,トルコの侵略によるサンスクリット劇の衰退後,古典を自由に民衆の言葉に直しながら,演劇の伝統を継承した。舞踊や人形劇との関係も深い。一方,イギリス統治時代の 1830年代からシェークスピア,モリエールの翻訳が上演され,次いでイプセン,チェーホフ,ショーなどが紹介されて西欧近代劇が流入した。しかしインド独立運動の興隆とともにサンスクリット劇が復興,R.タゴールが民族主義による演劇運動を起して,約 40編の戯曲を残した。また,ヨーロッパ演劇とインド民俗劇の伝統をつなぐ新しい演劇を目指してパルシー劇団がムンバイ (ボンベイ) を中心に巡業し,インド近代劇の成立に大きく貢献した。近代の戯曲には,従来のインドの叙事詩などを題材とするが歌謡や舞踊を伴わないせりふ劇が多い。

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