インド省(読み)インドしょう(その他表記)India Office

改訂新版 世界大百科事典 「インド省」の意味・わかりやすい解説

インド省 (インドしょう)
India Office

英領インドおよびインド藩王国統治を担当したイギリス中央官庁インドがイギリス東インド会社の所領からイギリス国王(当時は女王)の所領に移管された1858年に設置された。イギリスの植民地統治はインドを担当するインド省とその他を担当する植民地省のあいだで分担され,1925年からは自治領を担当するために植民地省から分かれた自治領省が加わった3省の分業によってイギリス帝国の経営が行われた。インド省の活動は実際にはインド政府を通してなされた。省のスタッフの数は500~600人であった。インド省とインド政府のあいだにはほとんど人的交流はなかった。37年にビルマ(現ミャンマー)が英領インドの一州から格上げされ,インドと同等の地位をもつ別個の植民地となるに伴い,インド省もインド・ビルマ省India and Burma Officesと名称を変えた。

 インド省の長はインド大臣Secretary of State for Indiaであり,37年からインド・ビルマ大臣となっている。このポストが存続した約90年の間に,19世紀と20世紀にそれぞれ14人が任命された。彼らは1人を除いて残らず閣内相であった。例外は第2次世界大戦時のチャーチルの戦時内閣の閣外相となったエーマリーである。20世紀になってからの著名なインド大臣は,その名がそれぞれインドにおける重要な改革と結びついているモーリーおよびモンタギュー,1935年インド統治法の作成に当たったホーア,第2次大戦期のエーマリー,第2次大戦後の労働党内閣の一員で内閣使節団Cabinet Missionに参加してインドで独立交渉に当たったペティック・ローレンスなどである。彼らはだいたいが長い経験をつんだベテラン政治家で,就任までとくにインドと関係をもっていたのではない。彼らがなんらかの政策を実施しようとする場合に問題となるのは,一方で首相議会の支持をえられるかどうかであり,他方でインド政府,とくにその長であるインド総督との調整をいかに行うかということであった。多くの摩擦衝突が起こっているが,だいたいはイギリスのインド統治にまつわるエピソードにすぎない。しかし35年インド統治法をめぐるイギリス国内の対立とホーアの役割,42年のクリップス使節団Cripps Mission以後のイギリスのインド政策とエーマリーの位置などは,インド独立にいたる過程での重要な論点である。

 インド省はインドとパキスタンの独立に伴って廃止され,残ったビルマ省Burma Officeも48年1月のビルマ独立によって廃止となった。ロンドンにある旧インド省図書館India Office Libraryはインド史に関する文献の宝庫として,今日も研究者によって利用されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インド省」の意味・わかりやすい解説

インド省
インドしょう
India Office

イギリスのインド植民地統治のため設置された官庁。 1858年イギリス国王の直接統治が開始されると,行政部門の一つとして発足した。インド担当国務大臣が統括し,本国における統治事務を処理した。そのもとに審議機関としてインド評議会がおかれ,インド担当国務大臣の行動を制限する権限があった。インド省,評議会の経費は植民地側が負担した。その後インド省の役割に大きな変化はなかったが,1919年にはインド統治に関する経費は本国側が負担するようになり,参事会の構成と権限は縮小,大臣の権限についても修正された。さらにイギリス駐在インド高等弁務官をおいて,インド政庁の本国における代理者の職務をこれに移管した。 35年の「統治法」により評議会が解散され,同時に大臣の権限も縮小された。以後 47年インド,パキスタンの分離独立まで続いた。

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