イーデン(読み)いーでん(英語表記)Sir Robert Anthony Eden, Earl of Avon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イーデン」の意味・わかりやすい解説

イーデン
いーでん
Sir Robert Anthony Eden, Earl of Avon
(1897―1977)

イギリスの政治家。オックスフォード大学在学中に第一次世界大戦に従軍し、卒業後1923年に保守党下院議員となった。1934年に国璽尚書(こくじしょうしょ)に就任、国際連盟担当相を経て、1935年外相の座についた。外相として、スペイン内戦に際しての不干渉政策の推進などを行ったが、対イタリア政策をめぐってチェンバレン首相と対立し、1938年2月に辞任宥和(ゆうわ)政策批判派の旗頭となった。第二次世界大戦開始によって政府に復帰し、自治領相、陸相、外相を歴任した。とりわけ4年8か月に及ぶ外相時代には、イギリスの戦時外交に強力なリーダーシップを発揮した。戦後、1951年からまたも外相を務め、ジュネーブ会議(1954)の開催などで大きな役割を果たした。1955年4月チャーチルの後を継いで首相に就任。翌1956年エジプト政府によるスエズ運河国有化に直面し、フランス、イスラエルと謀ってエジプト攻撃に踏み切ったが、国内外からの激しい批判を浴び、健康が悪化するなかで、1957年1月辞任に追い込まれた。それ以後、政治の表舞台から退き、現代史の貴重な史料となる回顧録の執筆などで余生を送った。

[木畑洋一]

『町野武他訳『イーデン回顧録』全4巻(1960~1964・みすず書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イーデン」の意味・わかりやすい解説

イーデン
Eden, Robert Anthony, 1st Earl of Avon

[生]1897.6.12. ダラム,ウィンドルストンホール
[没]1977.1.14. ソールズベリー
イギリスの政治家。オックスフォード大学卒業後,1923年保守党下院議員。 26~29年 A.チェンバレン外相秘書。 31~33年外務次官。 34年国璽尚書。 35年国際連盟担当相を経て同年外相。 38年 N.チェンバレン首相の対独宥和外交に反対して外相を辞任。 40年 W.チャーチル戦時内閣の陸相。 40~45年外相に再任。 51~55年保守党政権復帰とともに3度目の外相。 55~57年首相。第2次世界大戦中は連合国の関係強化につとめ,54年インドシナ休戦のためのジュネーブ極東平和会議西欧同盟成立など外交舞台ではなばなしい活躍をみせた。 56年首相在任中,スエズ動乱にフランスとともに出兵,国外,国内から激しい非難を浴び,健康上の理由もあって 57年首相を辞任。 61年伯爵。主著『イーデン回顧録』 Memoir (3巻) 。

イーデン
Eden

イギリスイングランド北西部,カンブリア県東部の地区。西にカンブリア山地,東にペナイン山脈を控え,標高 600~900mと山がちで,カンブリア山地は保養地として知られる。地区内を北西流するイーデン川の河谷が唯一の肥沃地で,カラスムギなどの飼料が栽培され,乳牛肉牛の飼育が盛ん。高地ではヒツジ放牧が行なわれる。農業集散地のペンリス,アップルビーインウェストモーランドはイングランドとスコットランド国境紛争の地として歴史的に著名。ペンリスは地区の行政中心地。面積 2158km2。人口 4万9779(2001)。

イーデン
Eden

オーストラリア,ニューサウスウェールズ州南東岸,シドニーの南 400km,ビクトリア州境に近い町。漁業および水産加工で知られるが,1969年以来木材チップ産業が興り,日本へ輸出している。人口約 3000。

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