アッシリア美術(読み)アッシリアびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「アッシリア美術」の意味・わかりやすい解説

アッシリア美術 (アッシリアびじゅつ)

アッシリアの美術は,メソポタミア美術最後の,最も発達した段階を示すものである。アッシリアはメソポタミア北部の都市アッシュール本拠とし,前2千年紀末から,盛衰を繰り返しながらも,その軍事力,政治力を強め,しだいにメソポタミア南部のバビロニア地方に支配を及ぼしていった。前1千年紀には,その軍事力にまかせてメソポタミアのほぼ全域に君臨する帝国を形成する。このように,アッシリアは政治・軍事面で強い力を誇ったが,文化的にはバビロニアに及ばず,むしろ多くを後者に学ぶ立場にあった。宗教文学などの分野においては,とくにその傾向が顕著である。しかし美術の分野では,とりわけアッシリア帝国時代(前9世紀以降)になってから,独自の特色を持ち,芸術的にも高い水準を示す遺品を数多く残した。ことに薄肉浮彫のような平面的な美術において,優れた面を見せている。
バビロニア美術
 古アッシリア時代(前2千年紀中ごろまで)の美術作品は,現在ほとんど知られていない。アッシュールに城塞が営まれ,神殿も建設されたことが発掘の結果認められ,またマリ出土の彫像によく似たスタイルを持つ人物彫刻や,円筒印章などがわずかに発見されている程度である。中期アッシリア時代(前1千年紀初めまで)には,アッシュールにいくつかの神殿,ジッグラト宮殿などが造営された。トゥクルティニヌルタ1世Tukulti-ninurta Ⅰ(在位,前1244-前1208)が建設し,あるいは再建したイシュタル神およびアッシュール神の神殿などが代表例としてあげられる。またこの時期には,円筒印章に優れた作品が多く見られる。文様意匠には空想上の動物や神話伝説の主人公が多く取り上げられ,その表現は自然でのびやかで,動きのある変化に富んだ場面構成が特徴的である。他方では《トゥクルティニヌルタ1世の祭壇》など浮彫の作品例が少数ながら残っており,後期アッシリア時代に開花した美術の特質がこのころから少しずつ形成されていたことがわかる。中期アッシリア美術の意匠には,ミタンニなど近隣諸国からの影響がみられる。

 前1千年紀に入ると,歴代諸王が版図を逐次拡大し,美術も突如として華やかな様相を呈するようになる(後期アッシリア時代)。前9世紀の征服王アッシュールナシルパル2世Assurnasirpal Ⅱ(在位,前883-前859)は,カルフKalhu(現,ニムルド)に新都を造営し,大規模な北西宮殿を建設した。宮殿の主要な入口には,アラバスター製の人面獣身の守護像が置かれ,また玉座室を中心とする一画と中心の中庭とは,薄肉浮彫を施した多数のアラバスター製オルトスタトorthostat(画像石板)で飾られた。浮彫は取り扱われているテーマのうえで大きく二つに分類できる。一つはアッシュールナシルパル王が近隣諸国征服のために行った戦闘のようすを描いたもので,主として玉座室の壁に部屋を取り囲むように配され,上下2段に分けられていた。横長の浮彫画面にアッシリア軍,敵国軍,馬,戦車,要塞などを組み合わせた場面が次々に現れ,説話的で動きのある画面展開を見せている。これに対し,正装をした王,従者,有翼の精霊像(人間の姿のもの,または鷲頭のもの),聖樹(ナツメヤシ生命の樹)などが登場し,礼拝,宗教儀式,またはそれに類する場面を表していると思われる一連の浮彫がある。画面は動きが少なく荘重な雰囲気を漂わせていて,個々の細部描写は緻密丁寧である。アッシュールナシルパルに続く帝王の時代にも浮彫は製作されていたが,次のピークはサルゴン2世(在位,前721-前705)がドゥル・シャッルキンDur-Sharrukin(現,コルサバード)の都を新設したときに訪れた。ここにはサルゴンの宮殿のほか,大規模な神殿やジッグラトが造られたが,都の造営そのものは未完に終わった。大きな建物の出入口には人面獣身の石像が置かれ,宮殿の中庭にはサルゴンと従者朝貢者の列を表す巨大な浮彫が飾られた。サルゴンの後継者たちは主としてニネベに宮殿を営んだが,なかでもアッシュールバニパル(在位,前668-前627)は宮殿にさまざまな題材を扱った多くの浮彫を残した。王の遠征のようすを扱った浮彫としては,《ウライ河畔の戦》が知られる。ここでは,古くから伝えられてきた画面を横長に分け説話風に図柄を展開していく方式が破られ,全体が一つの大きな画面にまとめあげられている。一方でアッシュールバニパルは動物狩りを好み,闘技場でライオンを倒す遊技をしばしば行った。ライオン狩りを扱った一連の浮彫は,アッシリアの浮彫芸術が到達した水準の高さをよく示している。動物に対する優れた観察力と瞬間の動きや表情まで写す確かな表現力が,これらの作品の特色である。その反面,人物描写はやや類型的といえる。アッシュールバニパル時代の浮彫群をもってアッシリア美術はその幕を閉じ,王国もこの後まもなく(前612)滅亡した。後期アッシリア時代にはこのほかにも,丸彫彫像がいくつかつくられたが,いずれも平面的で迫力に乏しい。またバラワトBalawat(現,イムグル・ベル)の宮殿門扉のような青銅製浮彫(前9世紀)もつくられた。その他おびただしい数の象牙彫刻小品がアッシリアの各都市から出土している。最も有名なものは,ニムルドから出た女性の面(通称《モナ・リザ》,前8世紀末)であろう。これら後期アッシリア時代の美術品は,19世紀になって初めてヨーロッパ人に知られることとなり,大きな驚きの念を喚起した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッシリア美術」の意味・わかりやすい解説

アッシリア美術
アッシリアびじゅつ
Assyrian art

初期 (前 2000~1500頃) ,中期 (前 1500~1000頃) ,後期 (前 1000~612頃) のうち,アッシリア美術の特性が帝国の強大化に伴って確立されたのは,後期すなわち新アッシリア美術とも呼ばれる時期である。日干し煉瓦,焼成煉瓦を用いた王宮建築の遺跡が,アッシュール,ニムルド,コルサバド,ニネベの各地に残る。メソポタミアの伝統に従うアッシリアで特色が発揮されたのは浮彫で,戦闘,狩猟,朝貢者の列など,王権の誇示,帝国の武威を示す主題が好まれ,アッシュールバニパル王の狩猟図 (前 650頃) では,鋭い写実的描写を生む。彩釉煉瓦による浮彫もアッシリア独自のもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッシリア美術」の意味・わかりやすい解説

アッシリア美術
あっしりあびじゅつ

メソポタミア美術

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