ゴドフロア・ド・ブイヨン
Godefroi de Bouillon
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ゴドフロア・ド・ブイヨン
ごどふろあどぶいよん
Godefror de Bouillon
(1061―1100)
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の家臣。ブローニュ伯の次男。母方の下ロレーヌ侯領を継承し、ブイヨン城に住んだ。クリュニー修道院改革運動の影響を受け、教皇の勧説に従って第1回十字軍への参加を決意し、弟ボードアンとともに騎士1000人余、歩卒7000人余を率いて出陣した(1096)。コンスタンティノープルにおいてビザンティン皇帝アレクシオス1世に臣従を求められ、やむなく受諾し、エルサレム占領時(1099.7)には一番乗りの功により、初代エルサレム王に推戴(すいたい)されたが辞退し、「聖墳墓守護職」という謙遜(けんそん)な称号を帯びた。その翌月アスカロンでエジプト軍を破り、十字軍国家の基礎を固めた。敬虔(けいけん)かつ剛勇をもって聞こえる北欧型騎士の典型とされる。
[橋口倫介]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のゴドフロア・ド・ブイヨンの言及
【十字軍】より
…このため十字軍国家はその後永年にわたって人口不足と防衛力の劣弱さに悩まされ,イスラム側の反撃を容易にすることになった。聖地に踏みとどまった諸侯は〈聖墳墓守護者〉の称号を帯びたゴドフロア・ド・ブイヨンGodefroy de Bouillonを宗主とするエルサレム王国を創設し,その封建所領としての前記2侯伯領のほか,1109年占領のトリポリ伯領,トランスヨルダン領などを支配し,地中海東岸の諸港市を西欧との交流の窓口とする東方植民地国家を建設し終わった。 しかし12世紀を迎えると,イスラム側は,モースルとアレッポに拠る[ザンギー朝](1127‐1222)の反撃が始まり,十字軍国家の北東部,北部の喪失が相次ぎ,その衝撃とともに西欧において高揚を続けていた〈十字軍運動〉,とくにクレルボー修道院の院長で当代きっての宗教家[ベルナール]の勧説による第2回十字軍(1147‐53)の企てが実現した。…
※「ゴドフロア・ド・ブイヨン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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