オーストリア料理(読み)おーすとりありょうり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オーストリア料理」の意味・わかりやすい解説

オーストリア料理
おーすとりありょうり

オーストリアの文化には、13世紀から20世紀初頭まで600年にわたって君臨したハプスブルク家威光がいまも色濃く残っている。食文化もその例外ではなく、同じゲルマン民族でもドイツ人やドイツ系スイス人の食生活とはひと味違った奥行のなかに、オーストリア・ハンガリー帝国の栄華の跡をみることができる。

角田 俊]

王侯貴族の残したもの

今日オーストリアのどの地域でも食べられるグーラーシュGulaschsuppeは、牛肉、ジャガイモタマネギなどを煮込んだ実だくさんのスープであるが、その味つけにはパプリカを中心とする香辛料を多量に使っていて、本来ハンガリーのものであることが容易に知られる。またオーストリア人の食卓にしばしば登場するクネーデルKnödelという団子も、その原型チェコスロバキアのクネドリキKnedlíkyであり、ウィーン料理としてもっともポピュラーな子牛のカツレツ、ウィナー・シュニッツェルWiener Schnitzelは、もともとミラノから持ち込まれたものといわれる。このように、ハプスブルク家の支配下にあった地方、つまり現在のハンガリー、旧ユーゴスラビア地域、チェコ、スロバキア、北イタリアなどの土着の料理をウィーンの王宮に持ち込んで、さらに発展させたものが、今日のオーストリア料理のなかで大きな一つの流れをなしている。

[角田 俊]

家庭料理の質実さ

牛のすね肉を柔らかく煮込んだターフェル・シュピッツTafelspitzは、家庭でもレストランでもごく普通にみられるが、これはフランツ1世が好んだ一品であったし、「ウィーンの森」という名のチェーン・レストランによってすっかりポピュラーになったウィーン風鶏肉のフライ、ウィナー・バックヘンドルWiener Backhendlなども王室貴族の間でもてはやされた御馳走(ごちそう)だったといわれる。だが、これらの料理にみるハプスブルク家の食生活は意外に質素で実質的である。たとえば、ウィナー・シュニッツェルにしても、肉を平たく伸ばして用いるため少量の肉で事足りるし、ターフェル・シュピッツなどもけっして上等の肉を使ったものではない。そして当時、ウィーン市民の台所も、王宮に倣ってせっせとそれらの料理をつくったといわれる。オーストリア・ハンガリー帝国の支配者として全ヨーロッパにその威光を示した王家の食卓は、意外にも市民たちのそれとさほど隔たったものではなかった。そして家庭料理とよぶにふさわしいその質実さが、今日もやはりオーストリア料理の底流に生きているといえる。

[角田 俊]

農民料理

以上のようにウィーンを中心として発達したオーストリア料理のもう一つの要素は、チロールを中心とした地域の農民料理である。スイスや南ドイツによくみられるシュペツレSpätzleは、細かな小麦粉の団子にチーズなどをまぶした素朴な料理だが、同じものがチロールにもあるし、ソーセージにサワークラウトSauerkraut(キャベツの塩漬け)という、いかにもゲルマンの農民らしい組合せもまた、オーストリア中でみることができる。オーストリア料理の特色は、そんな素朴な農民料理をも違和感なく取り入れた質実さと、ハプスブルク家の広大な領地から集めた料理の多彩さにあるといえよう。

[角田 俊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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