アメリカ合衆国の軍人。1861年陸軍士官学校を卒業。南北戦争中戦功抜群のため義勇軍の少将に特別昇任。戦後は第7騎兵隊中佐として西部の対インディアン戦争に従事する。75年,ブラック・ヒルズの金鉱発見と白人鉱夫の侵入に端を発した第2次スー戦争が勃発。翌年カスターはテリーAlfred H.Terry将軍の指揮するインディアン討伐軍の部隊長として,スー・シャイアン連合軍の討伐に向かった。76年6月25日,カスターとその264名の部隊は,現在のモンタナ州南部,リトル・ビッグホーン川のほとりに宿営中のクレージー・ホース,シッティング・ブル両酋長率いるインディアンの大軍に遭遇,これを攻撃したが,逆に包囲されて翌26日全滅した。これを〈リトル・ビッグホーン川の戦〉と呼ぶ。かつては小説や映画で,西部の悲劇的英雄として美化されることの多かったカスターも,最近は少数民族抑圧の悪しきシンボルとなり,アメリカでの評価はかんばしくない。
執筆者:平野 孝
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アメリカの軍人。西部開拓時代、アメリカ・インディアン連合軍に包囲されて全滅した第七騎兵隊の指揮官として著名。オハイオ州出身。1861年ウェストポイント陸軍士官学校卒業後、南北戦争において北軍側に従軍し、戦功著しく、義勇軍の少将にまで特別昇進。戦後、第七騎兵隊の中佐として西部各地の砦(とりで)の守備にあたる。75年、ブラックヒルズの金鉱発見をきっかけに第二次スー戦争が勃発(ぼっぱつ)。テリーAlfred Howe Terry(1827―90)将軍率いるインディアン討伐軍に加わったカスターは、76年6月25日、現在のモンタナ州にあるリトル・ビッグホーン川でスーとシャイアンの連合軍に遭遇し、これに無謀な攻撃をしかけたため、逆にシティング・ブルとクレイジー・ホースの率いるインディアン連合軍に包囲されて、264人の部下全員とともに戦死した。
[平野 孝]
…1830年代,西部開拓地における対インディアン作戦のため正規の騎兵連隊が編制され,南北戦争では,広大なアメリカ大陸を背景に騎兵隊はその機動性のゆえに南北両軍において重視された。戦後,騎兵10個連隊が残され,もっぱら西部においてインディアン〈討伐〉または治安維持に使用され,1876年G.A.カスター中佐指揮下の第7騎兵隊がモンタナ州で全滅したことは有名。なお,76年現在で陸軍総定員2万7000余名のうち,騎兵8882名となっている。…
※「カスター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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