スー族(読み)スーぞく(英語表記)Sioux

翻訳|Sioux

改訂新版 世界大百科事典 「スー族」の意味・わかりやすい解説

スー族 (スーぞく)
Sioux

北アメリカ大平原地方の狩猟インディアン。スー語系言語を話す全集団を指すこともある。ふつうダコタDakota族と呼ばれる。もと五大湖地方西部の森林地帯に住んでいた農耕・狩猟民であったが,植民地時代から合衆国の独立のころ,ヨーロッパ人との間の毛皮交易が盛んになるにつれ,東部のオジブワ族やフランス人が西進し,それにつれて西に移動し一部は大平原地方に進出した。18世紀後半にミズーリ川流域に達しアリカラ族と接触してから大平原の文化要素を取り入れ,大平原の代表的な部族になった。

 生業の基盤はバイソン狩猟にあり,弓矢を武器とし包囲,追込み,崖落し,落し穴などの狩猟方法をとった。バイソンの肉は食料とされ,乾燥肉にしたりペミカン(乾燥肉,脂肪,野イチゴ類を混ぜて塊にした携帯食料)に加工された。その毛皮,骨,角は各種の道具・衣類の原材料に利用された。各種のシカも狩猟の対象となっていた。植物性の食料としては野イチゴ,ユリ類の根,野生のカブなどが利用された。

 男性用の衣類にはシカ皮のシャツ,すね当て,下帯,ワシ羽根付きの頭飾,バイソンの毛皮の外衣があった。女性用の衣類はスカート,すね当て,ポンチョ様の上着モカシン,バイソンの毛皮の外衣などである。住居はバイソンの毛皮製の円錐形テント=ティピで,冬には疎林の中に,夏には平原に張られた。ティピの中ではヤナギ製の背もたれが休息・睡眠用に用いられた。運搬手段は,かつては犬に引かせるトラボアであったが,馬を導入してからはそれを馬に引かせた。川を渡るためのいかだの一種もある。日常の道具類には木製・角製の各種の容器,角製のさじ,ペミカン製作用の槌,ゆりかご,儀礼用パイプ,皮製の袋類,運搬用のパーフレッシュなどがある。皮製品にはビーズ細工が施されたが,ビーズはかつてはヤマアラシの針が,19世紀にはいってからはガラス製のものが用いられた。

 ダコタ族はスー語系言語を話す最大の集団で,南・北ダコタ州の州境付近に居住するサンティー・ダコタSantee Dakota,サウス・ダコタ州南東部に居住するナコタNakota,ミズーリ川西方に居住するティートン・ダコタTeton Dakota(またはラコタLakota)に三大別されている。このうちティートン・ダコタはオグララなどのバンドに分かれ,各バンドはかなり明確な狩猟のテリトリーをもち,独立した部族に近い位置を占めていた。

 19世紀半ばから後半にかけて,土地をめぐって植民者,合衆国陸軍と衝突を繰り返し,その抵抗は1970年代まで続いた。現在でもミネソタ州,南・北ダコタ両州,ネブラスカ州,モンタナ州に住み,その全人口は5万人(1970)を超している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スー族」の意味・わかりやすい解説

スー族
スーぞく
Sioux

アメリカインディアン,スー語系諸族のうち,3つの民族集団,サンティ (ダコタ) ,ヤンクトン (ナコタ) ,ティトン (ラコタ) の総称。「スー」は「敵」を意味するオジブワ族による呼称で,「同盟者」を意味する「ダコタ」などは,自称というより3つの集団間の友好関係を表現する言葉である。 17世紀以前にはスペリオル湖周辺でワイルドライスの採集,トウモロコシやウリなどを栽培する半農・半漁経済を営んでいたが,スペイン人から手に入れたウマを飼育するようになった 1760年頃から大平原地帯に進出し,典型的な季節移動バイソン猟に立脚する文化を形成した。ティピーという円錐形の天幕に住み,戦士が秘密結社をつくるなど,その文化と社会組織はほかの平原インディアンと相似している。また,アパッチやシャイアンと並んで白人の侵略に最も激しく抵抗したが (→リトルビッグホーンの戦い ) ,1890年のウンデッドニーの虐殺以降,その活動は衰微した。現在では約4万人のスー族がいくつかの指定居留地に分散している。

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知恵蔵mini 「スー族」の解説

スー族

北米の先住民族。米国北部の中西部に居住するインディアン、ラコタ族、ナコタ族、ダコタ族の総称。紀元前4000年頃に現在の米国オハイオ州オハイオ川流域で結成された。その後、ウィスコンシン州やミネソタ州付近の森林地帯に移って狩猟採集生活を送っていた。19世紀末になると、白人による保留地政策により居留地内での定住生活を強制され、狩猟民族としての文化が破壊された。1890年にサウスダコタ州のウーンデット・ニーでスー族が米連邦政府軍に虐殺された事件は、同国におけるインディアン戦争の象徴となっている。

(2013-7-25)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のスー族の言及

【アメリカ・インディアン】より

…南北戦争が起こると,チェロキー族やクリーク族などのインディアン地方(現在のオクラホマ州東部)の諸部族は南北両軍の戦略にまきこまれ,部族間のみならず部族内が敵味方に分かれて戦う悲劇を強いられた。他方,戦争中でもスー族の討伐や,〈サンド・クリークの虐殺〉など大平原諸部族への圧力は一層強まった。南北戦争後70年代をピークとして合衆国軍と諸部族との最後の決戦が合衆国の西半分の各地で展開された。…

【血】より

…しかし危険な血の代表は女性の血,ことに月経であるが,善悪双方の影響力をもつ場合も多い。北アメリカのスー族では,月経中の女は呪力ワユンダをもつため,一方では子どもや他の女たちから危険だとして忌避されるが,他方では日の出前に裸で畑に行けば,豊饒を促進すると考えられていた。オーストラリアやニューギニアでは,思春期に若者は,生まれたときからもっている〈母の血〉を,割礼によって,あるいはトゲなどを使って放血することによって出してしまうことが重要だと考えている民族が多い。…

【ブラック・ヒルズ】より

…グレート・プレーンズから900mの比高をなしてそびえ,最高峰はハーニー山(2206m)。平地から見ると山地を松の森林がおおい黒く見えることから,スー族によって〈黒い丘〉と呼ばれていた。ワイオミングでの白人侵入者とスー族の衝突の結果結ばれた1868年のララミー協定で,ミズーリ川以西の現在のサウス・ダコタ州全域は永久にスー族の保留地とされた。…

※「スー族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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