デジタル大辞泉
「カストリア」の意味・読み・例文・類語
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カストリア
Kastoría
ギリシア北西部マケドニア地方西部の同名県の県都。古代名ケレトロン。カストリアスKastorías湖西岸に位置する。人口1万7133(1981)。住民の多くが伝統の毛皮加工業に従事している。中世にはビザンティン帝国の一地方都市として栄えたが,10世紀にはブルガリア帝国の,また11世紀には十字軍の支配下におかれるなど,波乱の歴史を経てきた。1386-1913年オスマン帝国に属する。ビザンティン芸術の宝庫としても知られ,聖堂は一時72を数えた。なかでも,アギオス・ステファノス(10~11世紀),アギイ・アナルギリ(11~12世紀),アギオス・ニコラオス・ティス・カスニジス(11~12世紀),タクシアルヒス・ミトロポレオス(11世紀ころ),パナギア・クンベリディキ(11~16世紀),パナギア・マウリオティッサ修道院主聖堂(11~12世紀)の六つの中期ビザンティン聖堂が注目され,変化に富む建築様式とその壁画群はビザンティン芸術の研究に貴重な手がかりを与えている。
執筆者:高橋 榮一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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カストリア
かすとりあ
Kastoría
ギリシア北部、マケドニア地方西部のカストリア県の県都。カストリア湖(別名オレスティアス湖)西岸に位置する。人口1万6200(2003推計)。木材、毛皮の集散地。ノルマン、フランク、セルビアの侵略を受け、15世紀中葉よりオスマン・トルコ帝国の支配下に入り、交易上の要地として栄えた。11世紀のパナヤ・クベリディキ教会などのビザンティン時代の教会や、オスマン・トルコ支配時代の大商人の屋敷など、独特の建築物が多い。付近に古代の都ケレトロンKeletronの遺跡がある。
[真下とも子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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カストリア
Kastoriá
ギリシア北部,マケドニア地方西部の都市。セサロニキの西約 150km,アルバニアとの国境に近い山間盆地にあるカストリア湖西岸に位置する。毛皮加工・取引の中心地で,市名は長い間その毛皮によって市の経済を支えてきたビーバー (ギリシア語でカストリ) に由来するものと考えられる。現在の毛皮工業はミンクが中心。市内にはビザンチン時代以降の聖堂が多数復元されて保存されており,聖堂建築とフレスコ画の研究中心地の一つとなっている。人口1万 5605 (1991推計) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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