日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルフール」の意味・わかりやすい解説
カルフール
かるふーる
Carrefour S.A.
フランスの小売企業。本業以外ではガソリン販売、金融、保険投資信託販売、旅行サービス、自動車用品および関連サービスなどに多角化している。2000年にフランスの大手スーパーマーケット・チェーン、プロモデスPromodèsと合併し、世界第2位の流通企業となった。
[簗場保行]
積極的な国外進出
1959年、スーパーマーケットを経営していたフルニエFournierとデフォレイDefforey両家の共同出資により資本金70万フランで設立された。翌1960年フランス南東部のオート・サボアHaute-Savoieに店舗をオープン。1963年にはパリ郊外に巨大なセルフサービス店を開業し、ハイパーマーケット(売場面積2500平方メートル超のセルフサービス店)の元祖といわれた。同社の国外展開は1969年にベルギーに進出したのが最初である。早い段階から海外進出を行ったことが特色であるが、それは国内市場の成熟・飽和と厳しい出店規制のためであった。1970年代からラテンアメリカへ進出し、1975年ブラジル、1981年にはアルゼンチンに出店した。北アメリカには1989年に進出したが3年後に撤退。一方、アジア地域は1989年台湾に出店して成功を収め、1994年以降マレーシア、香港(ホンコン)、タイ、韓国へと順次進出した。中国には1995年に進出した後、出店を加速していた。しかし徐々に売上げや店舗数を減らし、2019年にはハイパーマーケット210、コンビニエンス・ストア24店舗等を抱える中国での事業を中国企業に売却することを発表した。
[簗場保行]
事業戦略
カルフールの出店戦略の特色は、都市周辺に円を描くように多店舗を配置し中心を包囲する形をとる。これは母国で成功したモデルを各国で踏襲しているといえる。物流戦略として、食料品と日用品の取り扱いを中心としていることと関係するが、コスト削減のために輸入依存度を下げ、可能な限り進出国での商品調達を基本目標としている。地域共通プライベート・ブランド商品の開発、供給ネットワークの構築にも取り組んでいる。また、メーカーとの直接取引によって仕入れ価格を大幅に引き下げる低価格戦略が同社の武器である。
業態戦略として、国外展開では従来ハイパーマーケット主体であったが、現在は柔軟である。すなわちアジア市場では市場シェアの早期獲得のためハイパーマーケット主体で展開し、ラテンアメリカでは市場が成熟しつつあることと関係してスーパーマーケット、ディスカウント・ストアの展開に移行し、さらにフランス、イタリア、スペインなどハイパーマーケットの超成熟市場ではコンビニエンス・ストアなどの業態を補完的に展開している。2000年にはネット販売のための新会社を設立し流通チャネルを多様化した。同年、グローバル商品調達機構GNX(Gloval Net Exchange)をシアーズ・ローバック社、オラクル社と共同発足させた。2005年にフランスの大手スーパーマーケット、シャンピオンChampionを買収した。
2017年6月時点で、世界30か国以上で1万2048店舗を展開。内訳はフランス国内5682店、フランス以外のヨーロッパ諸国4602店、ラテンアメリカ諸国972店、アジア諸国447店、その他諸国345店。業態別ではハイパーマーケット1503店、スーパーマーケット3194店、コンビニエンス・ストア7180店、その他171店。2018年の売上高は849億1600万ユーロ、グループの総従業員数は36万3862人。
[簗場保行]
日本における事業展開
日本では2000年(平成12)にカルフール・ジャパンを設立し、千葉市幕張(まくはり)に1号店を開店、次いで東京の南町田、大阪の和泉(いずみ)市光明池、埼玉の狭山(さやま)に開店した。しかし、業績不振のため2005年にはカルフール・ジャパンの全株式を大手スーパーマーケットのイオンへ売却して日本市場から事実上撤退した。
[簗場保行]
『清尾豊治郎著『巨大流通外資――「強さ」と「弱さ」を解き明かす』(2001・日本経済新聞社)』▽『根本重之・為広吉弘編著『グローバル・リテイラー――日本上陸を開始した巨大流通外資』(2001・東洋経済新報社)』▽『小島郁夫著『日本の流通が壊滅する日――巨大外資カルフール・コストコ・ウォルマートの襲来』(2001・ぱる出版)』