日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルボ」の意味・わかりやすい解説 カルボかるぼCarlos Calvo(1824―1906) アルゼンチンの国際法学者。ブエノス・アイレス生まれ。パリ滞在中1863年『ヨーロッパ及びアメリカの国際法の理論と実際』を著し、1885年以後外交官となる。パリで没した。カルボを今日有名にしたのは、国家と外国人との間の契約上の紛争については、その本国政府は外交的保護権を行使すべきでないという「カルボ主義」と、それを内容とする「カルボ条項」である。[池田文雄][参照項目] | カルボ条項 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルボ」の意味・わかりやすい解説 カルボCarbo, Gnaeus Papirius [生]前130頃[没]前82. シチリア島,リリバエウム古代ローマの政治家。 L.キンナ,G.マリウスと組み,前 87年スラ派の防衛していたローマを陥れ,前 85年執政官 (コンスル ) に就任。 L.スラの東方からの帰還にそなえ,イタリア諸市へ市民権を賦与した。前 82年マリウスとともに執政官に再任され,スラ派と連戦ののちスラの部将メテルス・ピウスに敗れ,アフリカに逃れたが,グナエウス・ポンペイウスに捕えられ,処刑された。 カルボCarbo, Gaius Papirius [生]?[没]前119古代ローマの政治家。 T.グラックス (→グラックス兄弟 ) の改革に協力。前 131年護民官 (トリブヌス・プレビス ) 。翌年土地査察委員となった。前 122年閥族派 (オプチマテス ) に移り,その支持を得て前 120年執政官 (コンスル ) に就任。しかし閥族派の不信の念は消えず,陰謀と搾取の罪に問われて自殺した。 カルボCarbo, Arvina Gaius Papirius [生]?[没]前81古代ローマの政治家。内乱時はキンナ派。前 90年護民官 (トリブヌス・プレビス ) 。のちマリウス派からスラ派に移ると,G.マリウスの命を受けたブルーツス・ダマシップスによって殺された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「カルボ」の解説 カルボ 生年月日:1824年2月26日アルゼンチンの法学者,外交官1893年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by