日本大百科全書(ニッポニカ) 「カレバラ」の意味・わかりやすい解説
カレバラ
かればら
Kalevala
内容
天地創造に始まり、半神半人の英雄バイナモイネンを中心とするトリオによるカレバ国創建の説話が展開され、バイナモイネンの国譲りで終わる。天地創造、国土開墾、農耕起源、異族抗争、地下国訪問、事物の起源を説く呪言(じゅごん)などの説話に古代信仰色が濃い。また、富のシンボルである呪具(じゅぐ)サンポの争奪戦、老英雄バイナモイネンと水の乙女アイノとの悲恋、クッレルボの兄妹相姦(そうかん)の悲劇など、物語性に富む説話も多く含まれている。全体の構成は、アニミズム、シャーマニズムの世界にかわって、キリスト教的イデオロギーにたつ人物がカレバ国を統治することの正当性を説くことにあり、神話的である。
[高橋静男]
表現形式
本文は韻文詩で、各行8音節からなる。同じ内容を語句をかえて表現する2行がペアとなり、各行に頭韻、多くは脚韻をも含み、かつ2行間においても脚韻の対応がみられる。これは、『カレバラ』が2人ないし複数でリズムをもって口頭で伝承されていたことを示している。
[高橋静男]
成立
フィンランド人は16世紀になるまで母国語の文字をもたなかった。そのため、叙事詩、昔話、呪言そのほかの口承文芸を豊かに伝承してきた。ところが、フィンランドが、600余年続いたスウェーデンの支配下から1809年にロシア治下に移されたころ、フィンランド人の民族的自覚が高まり、これら口承文芸は民族文化として見直され、記録されるようになった。E・ロンルートは1828年から17年間に十数度、カリャラ地方へ口承文芸採集旅行に出かけ、多くの叙事詩を記録した。その間に、彼は個々の叙事詩間に関連性をみいだし、体系化を進めた。1833年に「原カレバラ」、1835年に「古カレバラ」と増補を加え、1849年に現在の『カレバラ』の編集を終えた。
[高橋静男]
影響
民族叙事詩の発掘がフィンランド人に与えた影響は大きかった。民族的自信を取り戻し、民族的精神高揚のよりどころとなり、やがてそれが独立運動への気運を高めることになった。「古カレバラ」が出版された2月28日は祝日とされ、毎年この日にカレバラ祭が行われるようになった。口承文芸研究を促し、のちにフィンランドが世界の口承文芸研究者の拠点となる下地となった。この過程で、カレバラの詩句が部分的に伝承資料そのものではなく、ロンルートによって加筆修正が行われていたことも明らかにされた。
カレバラの完成は詩人、作家、画家、音楽家を刺激し、フィンランド文化は黄金期を迎えることになった。レイノの詩集『火祭り賛歌』、キビィの戯曲『クッレルボ』、ガレン・カレラAkseli Gallen-Kallela(1865―1931)とシベリウスによる「カレバラ」を素材にした数々の絵画と音楽作品などはその一例である。また、『カレバラ』は多くの言語に翻訳され、国外においても高く評価された。神話学者M・ミュラーは『イリアス』と比肩し、ロングフェローは名作『ハイアワサ』執筆の動機を得た。
[高橋静男]
『マルッティ・ハーヴィオ著、坂井玲子訳『カレワラタリナ』(2009・北欧文化通信社)』▽『小泉保訳『カレワラ』上下(岩波文庫)』▽『森本覚丹訳『カレワラ』上下(講談社学術文庫)』