日本大百科全書(ニッポニカ) 「カープラス」の意味・わかりやすい解説
カープラス
かーぷらす
Martin Karplus
(1930― )
アメリカの化学者。オーストリアの国籍ももつ。オーストリアのウィーン生まれ。ナチス・ドイツの迫害を逃れ、1938年家族とともにアメリカに亡命し、アメリカ国籍を得た。ハーバード大学では当初、医学を志し、その後生物学に、さらに化学に転向した。1950年同大学を卒業し、原爆の父、オッペンハイマーの助言でカリフォルニア工科大学に進学、量子力学を化学に応用した先駆者、ライナス・ポーリングのもとで1953年に博士号を取得した。その後2年間、イギリスのオックスフォード大学で、アメリカ国立科学財団(NSF:National Science Foundation)の博士研究員となり、核磁気共鳴(NMR)研究に関心をもった。1955年にアメリカのイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の講師、1960年にコロンビア大学教授、1966年にハーバード大学教授に就任した。1979年に同大学のセオドア・ウィリアム・リチャーズ化学教授、1996年からはフランスのルイ・パスツール大学(ストラスブール第一大学)教授も務める。
ポーリングの影響を受け、初期のころから量子力学の概念を化学分野に持ち込んだ。核磁気共鳴の解析に「カープラス方程式」を導入するなど、化学シミュレーション分野で大きな業績をあげた。1970年にカープラスの研究室に、イスラエルのワイツマン科学研究所からアリー・ウォーシェルが博士研究員として加わると、化学反応を正確にシミュレーションするプログラム作成研究を本格化させた。当時のコンピュータは、性能が低く、小さな分子の反応の計算しかできなかったが、二人は、ワイツマン科学研究所のマイケル・レビットの協力も得て、同研究所が所有する大型のコンピュータ「ゴーレム」(ユダヤ人に伝わる民間伝承の生き物にちなむ)を使い、それまでむずかしかった生体高分子の反応なども再現した。
さらに二人は、それまでむずかしかった「自由電子」の動きをコンピュータでシミュレーションすることも可能にした。電子は原子核を周回しているが、いくつかの分子では電子が自由に原子核の間を行き来し、「自由電子」として化学反応では重要な役割を担っている。網膜の生体機能と量子化学の関係に興味をもっていたカープラスは、網膜の中の自由電子の動きを量子物理学的な方法で、通常の電子の動きを古典的な方法で処理してシミュレーションすることに成功した。これで光が当たった網膜の中で自由電子がエネルギーを得て、網膜の分子構造を変えるという視覚のプロセスを再現できた。ただ、この手法では、特定の構造をもつ分子にしか対応できなかった。
2年後、ワイツマン科学研究所に戻ったウォーシェルは、ケンブリッジ大学から戻ったレビットと、生体分子のコンピュータ解析の共同研究をスタート。当初は、反応のない静的な生体分子の解析しかできなかったが、二人は1976年、化学反応の活性中心(他の物質、分子と結合して変化しやすい活性部位)を量子力学的手法(QM法)で計算し、活性中心以外の部分を古典力学的な手法(MM法)でとらえるプログラムを開発。世界で初めて、動的な酵素反応を再現できるコンピュータ・モデルの構築に成功した。この手法は、タンパク質など生体内の巨大な高分子から低分子までの動きを、分子の大きさに関係なく再現できるところが画期的で、マルチスケール法とよばれる。今日の医薬品開発など、薬がどのように生体に作用するかの解析に役だてられている。
1967年にアメリカ科学アカデミー会員に選出され、1987年アービング・ラングミュア賞、2001年クリスチャン・アンフィンセン賞、2004年ライナス・ポーリング賞、2011年トムソン・ロイター引用栄誉賞、2013年「複雑な化学反応をコンピュータでシミュレーションするマルチスケールモデルの開発」で、ウォーシェル、レビットとともにノーベル化学賞を受賞した。
[玉村 治 2021年11月17日]