国際政治学(読み)こくさいせいじがく(その他表記)international politics

改訂新版 世界大百科事典 「国際政治学」の意味・わかりやすい解説

国際政治学 (こくさいせいじがく)
international politics

第1次大戦後に新しくはじまった,国際政治の系統的知識の獲得を目的とする学問分野。国際政治学がひとつの学問領域となる以前において,国際関係は外交史および国際法の研究のもとで行われていた。第1次大戦は国民全体を戦禍に巻き込んだということで戦争史上の画期であった。その結果,人類を破滅に導く戦争の原因の探究とその防止のための研究が必要になってきた。また,アジア,アフリカでは植民地からの独立運動が盛んになってきた。このような状況は国際政治を従来のヨーロッパ世界だけに限定して把握することを不可能にし,拡大された世界を認識する意味でも新しい学問の成立を必要とした。1916年にイギリスフェビアン協会がウールフLeonard Woolfに委嘱した〈国際政治論International Government〉の研究報告はその先駆といえよう。

 E.H.カーは国際政治における現実主義と理想主義の問題を研究の対象とした。カーはその著書《危機の20年The Twenty Years' Crisis》(1939)で,戦間期の国際的危機について,ヨーロッパに支配的である自由放任主義による利害調和の考え方が〈ユートピア的立場〉であり,これに対して,ファシズム国家は力ばかりを強調する〈リアリスト的立場〉であって,それぞれが一方に偏しているところに危機が存在していると指摘した。カーは道義が重視されている国際政治において,権力の要素を分析し,国際問題を解決するには,政治秩序の一機能でしかない法は有効性をもたないとし,〈政治的なもの〉による解決を強調した。すなわち,カーは国際政治における権力の問題を直視し,権力と道義,リアリティとユートピアとの対立を意識的にとりあげ,両者の妥協あるいは調和によって,国際問題を解決すべきであるとした。

 F.L.シューマンは1920年代のアメリカに高まった国際問題への関心がもっぱら法や機関の設立にあったのに対し,ナチズムの台頭を背景におきながら,権力的要因を重視し,精神分析や社会経済的観点をとり入れながら,西欧型国際社会を人類史・文明史的に分析し,人類社会と主権国家との矛盾を指摘した(《国際政治International Politics》1933)。H.J.モーゲンソーはアメリカ国民の法律主義的・道徳主義的国際政治観に対し,権力政治に立脚した体系的な国際政治学を樹立した。モーゲンソーは国際政治が勢力均衡のもとにおける力の政治であることを前提とすることによって,外交による交渉と妥協とが可能になり,平和が維持されるとした。そして,イデオロギーの対立として国際政治を考えることは,相手の絶滅以外に解決の方法はなく,ひいては戦争を招くことになると主張した(《国家間の政治Politics among Nations,the Struggle for Power and Peace》1948)。

このように,国際政治学は主として国家の集りから生み出される相互作用としての政治現象と対外政策決定過程の研究に焦点をあてて,理論的・実証的な研究がなされてきた。しかし第2次大戦後になると国家の内と外との関係が複雑にいりくみ,かつ相互浸透が進んできたため,国際政治学の研究領域は,国家の内側にまで及ぶように拡大された。国際政治学の研究対象と研究方法も,それに応じてさまざまのレベルで多様化し複雑になり,国際政治の理解の仕方(パラダイム)にも大きな変化が次々に起こっている。

 研究方法では行動科学的用具の導入,伝統的歴史学の再強調,政治哲学への回帰など何回かの動揺があった。研究領域としてはなお,(1)国際政治の諸局面を地域別政治現象として歴史的に総括する方向,(2)国際政治が軍事・政治・経済・学術・文化等々の諸局面へと分節化するなかで,それら分節化した諸機能領域を一つ一つとりあげ,個別的・事例的に政治現象として分析する方向,(3)変容する国際政治をなお大国中心の権力政治のパラダイムのなかで分析し,これに別のパラダイムをつけ加えて部分的に修正していく方向の三つのいずれかにウェイトをおいたものが多い。しかし最近ではこれら三つを統合する原理への模索が,さまざまな角度から進んでいる。行動科学的方法ではグローバル・シミュレーション,歴史理論的には地球政治学の成立,価値理論的には平和研究などである。

 従来のアメリカ中心の国際政治学史では,伝統的国際システム論,いくつかの型の対外政策決定論,いくつかの型の相互依存論・新機能主義的統合論,さまざまなレベルの連係政治論,国際政治の地域文化的近代化論,従属論,中心・周辺論,国際政治のヘゲモニー国家ないし同盟論などが,ほぼこの順序で展開されてきた。国際政治の行為主体の多様化というパラダイムからは,主権国家主体の伝統的リアリズム理論,多国籍企業(MNC)主体の相互依存理論,個人のアイデンティティ主体の中心・周縁理論の3類型が,行動科学的方法の基礎となっているデカルト・ニュートン的パラダイムの方向で実証科学化される流れが主流となっている。これら3類型の複雑な変容のなかで,古典的主権国家以外の行為主体が,国際連合,その系列の政府間国際組織IGO)から,徐々に多国籍企業(MNC)や一般の非政府間国際組織(INGO)へとその比重を移行させている。種々のレベルでの国際理解,情報の集散,世論の形成,コミュニケーションの確保,圧力団体行動,多元主義の推進,統合へのアイデンティティの面で,INGOの機能は規範的側面からもあたらしい国際秩序形成の次元を切り開きつつある。またこの過程で,第2類型の理論がリベラリズムの型として力を増しているともいえる。MNCの成長速度はINGOの成長率よりも速く,もしこの速度が減らなければ21世紀にはいる時点でMNCの力が世界の国々の経済力総計を突破するという驚くべき事態がグローバリゼーションを生み出している。また主権国民国家内部の地方自治体も,姉妹都市関係や世界連邦宣言自治体の形成をとおして巨大なINGOへと質量ともに成長しはじめている。こういった潮流は国際政治学の第1類型の伝統的リアリズム理論にとって大きな挑戦となっているが,安全保障政策の面ではなお,第1類型のパラダイムが強力に支配している。

こういった変化がみられるなかで,国際政治学のあり方を人類知の見地から照らし出せば,危機の切迫を適切に認識できるような学問へと,その内容の急速な変容が迫られることになろう。

 第1に国際政治学のなかでの行動科学的伝統の側面を拡張すれば,地球的問題群global problematicを解決できるような選択肢を含むグローバル・シミュレーション・モデルの多様な開発が,マイクロコンピューターの発達とともにますます強く要望されるようになる。

 第2に主権国民国家の主権性の一部として大国の伝統的な安全保障への要望からの主権の過剰主張が続く限り,地球的問題群の解決は不可能である。そこで,この状態をもう一つのネットワーク形成によって突破する方向を探るため,地球的発展論が実証性と規範性との結合の面で求められる。その積極的側面が地球的発展論であるにしても,その消極的側面としての地球的軍事化論も無視できない。両者は裏表の関係で地球化時代の国際政治学の二つの骨組みとなる。この種概念を中心とした地球政治学のさまざまな試みはすでにはじまっている。

 第3に平和価値に強くコミットした平和研究の領域でも,伝統的国際政治学に代わるもう一つの批判的国際政治学が模索されはじめている。平和研究では行為主体としての個人が設定され,人権,福祉,公正,環境,アイデンティティなど広い意味の平和価値が戦争のない非暴力状態の追求とならんで最優先的選択目標とされる。その実現をはばんでいる構造的問題が争点となれば,もう一つのネットワーク形成が構造変動の条件として浮かび上がってくるであろう。現代の国際政治学では,国家を中心とする国際システム論からヘゲモニー国家ないし同盟論にいたるアメリカ超越の国際政治学史をはるかにこえるような飛躍的発展が望まれている。
世界政治
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際政治学」の意味・わかりやすい解説

国際政治学
こくさいせいじがく

ヨーロッパやアメリカにおいて国際政治の社会科学的な研究が始められ、大学における教科が設置されたのは第一次世界大戦以後のことである。国際政治についての研究はマキャベッリ以来数多く存在するが、それらは支配者のための教訓か、外交史の素朴な記述にすぎなかった。第一次大戦は交戦各国の国民の諸階層を巻き込み、国際問題に対して深い大衆的関心を呼び起こした。戦争の再発を防止しようとする要求が国際政治学の基礎にあった。こうして国際政治学は「いかにあるか」の記述にとどまらず、「いかにあるべきか」を探究しようとした。

 1920年代の欧米の国際政治学は、ユートピアニズムの傾向が濃く、国際法・国際道義の役割を重視し、国際機構などがおもなテーマとされた。一方、マルクス主義の立場からは、レーニンの帝国主義論に出発して世界経済の分析を基礎とする国際政治への接近が行われ、1930年代初頭の世界恐慌の発生とともに、その資本主義諸国に対する分析力について評価が高まった。一方、ナチズムの台頭と戦争の危機に直面して、欧米学界では従来のユートピアニズムの欠陥が反省され、国際政治における権力の契機を重視する方法が提唱された。第二次大戦後も、国際政治を、権力をめぐる闘争として把握する方法が流行した。

 日本では、大学において国際法および外交史の科目は明治以来存在したが、国際政治学international politicsあるいは国際関係論international relationsという名の講座あるいは学科目として設けられたのは第二次大戦後のことであり、この分野を専門にする学者がしだいに増加し、学会も組織された。1960年代以後アメリカにおいては他の社会科学諸分野とも関連して、行動科学やシステム分析などの数量化的方法が盛んとなり、日本においてもマルクス主義的方法の有効性の低下とともにアメリカの学界の傾向が浸透した。本来国際政治学の追究すべき課題である平和確立の方法を理念とする平和研究peace researchという分野が現れ、国際的にもまた日本でも有力となっている。

[斉藤 孝]

『日本国際政治学会編『戦後日本の国際政治学』(1979・有斐閣)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国際政治学」の意味・わかりやすい解説

国際政治学
こくさいせいじがく
science of international politics

国際政治を独自の対象領域とする社会科学の一分野。国際政治に関する考察は,たとえば I.カントの『永久平和論』 (1795) に代表されるような一般的構想が発表されたほかは,第1次世界大戦まで本格化しなかった。国際社会が世界的規模で組織されたことを示した第1次世界大戦を契機として,国際政治に対する関心が一般化し,アメリカ,イギリスを中心に国際政治学が誕生した。しかし 1920年代の国際政治学は,ユートピア的色彩,制度論的傾向,方法論上の不明確さなどの限界をもつものであった。 30年代後半のきびしい国際環境のなかで,それらの限界を批判し,権力の役割を重視する現実主義の立場の国際政治学が生れ,第2次世界大戦後の学界でも一時主流を占めるにいたった。しかし,国際政治が複雑さを増し,他面で諸科学分野の協力が進むにつれて,H.モーゲンソーを代表とする権力政治論の立場に対して,その権力概念や国家的利益の概念の独断性を批判する多くの見解が生れた。ことにアメリカでは,行動科学的な理論と方法の国際政治学への導入に伴い,対外政策決定理論,内容分析,紛争理論,ゲームの理論国際体系論などの形でさまざまな理論化の試みが現れ,「厳密科学」への志向が強まっている。また平和の確立を課題とする平和研究が,国際政治学の一分野として重視されつつある。日本では,国際政治学は第2次世界大戦後ようやく本格的な歩みを始め,多くの大学に講座が設けられるようになったが,研究の方法は多彩である。 (→国際関係論 )

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百科事典マイペディア 「国際政治学」の意味・わかりやすい解説

国際政治学【こくさいせいじがく】

国際政治を対象とする政治学の一分野。国際政治は主権国家間の恒常的・総括的な政治関係であり,そこには超国家的統一権力およびそれに裏付けられた一元的秩序はなく,国内政治に比べてはるかにパワー・ポリティクスの要素が濃い。国際政治学は初め外交史や国際法の研究対象であり,第1次大戦後初めて一つの学問分野となった。特に1930年代以降の,激化する国家間の権力闘争の実体やそれと世界の平和的秩序建設への期待との間にある矛盾,およびそのような状況下での国家的利益の探求などが主要な研究課題となっている。E.H.カー,F.シューマン,モーゲンソーなどが代表的研究者。→平和研究

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