「これまでの文化(見方や伝統)を見直すこと」という意味で、アメリカにおける現在の政治的な分断のなかで定着したことばの一つである。
この「キャンセル」の使い方は、当初は一種のジョークのような軽い意味合いだった。「恋愛をキャンセルする」などのように、「キャンセル」を場違いなことばとして使うことば遊びのようなものであった。
しかし、「キャンセルカルチャー」ということばには強い政治的な意味が含まれるようになった。そのきっかけとなったのは、2020年初夏の黒人差別反対を訴えるブラック・ライブズ・マター(BLM)運動の広がりである。この運動は白人警察官による黒人男性への暴行死事件に対する抗議から始まり、公平性(エクイティequity)を求める声は全米に広がった。そのなかには、奴隷を所有していたことで建国の父祖founding fathersとよばれる合衆国建国時の政治リーダーたちの像の撤去を求める運動もあった。これに対して、当時の大統領トランプは「暴徒たちの行為はアメリカの文化を否定する“キャンセルカルチャー”だ」となじった。これをきっかけに多様性や公正性を求める動きを揶揄(やゆ)する捨て台詞として、保守層に「キャンセルカルチャー」ということばが定着していく。
「キャンセルカルチャー」ということばが保守層に広がった背景には、保守層とリベラル層の立ち位置が離れているだけでなく、それぞれの層内での結束がしだいに強くなるという現在のアメリカの激しい政治的分極化(political polarization)の構造そのものがある。政治的分極化は2000年ごろから一気に進み、現在、大きく二層に分かれた均衡状態となり、政治的な妥協がむずかしく、社会そのものが停滞する未曽有の国家の分断状態が続いている。公民権運動に象徴されるように人々が立ち上がって公正性や多様性を求めてきたアメリカの歴史は、同時に価値観の変化と多様性の包摂に取り残される保守層の焦りや怒りを増幅させてきた。多様性を求めるリベラル派の動きが大きくなればなるほど、それに対する反作用のように保守派の不満も増大している。保守派が「キャンセルカルチャー」と揶揄するのは、人種平等だけでなく、移民、同性婚、銃規制、妊娠中絶、気候変動など数々の「文化戦争culture wars」の“戦場”が対象となっている。「文化戦争」であるために都市部と過疎地など地域的な差や生活スタイル、世界観も大きく関連している。
「キャンセルカルチャー」ということばはアメリカだけでなく、日本を含め世界的に使われるようになっている。ただ、日本にこのことばが入ってきた際にアメリカでの政治対立の文脈は捨象され、「現在の基準からみれば政治的に好ましくないことを過去に行ったアーティストや著名人の業績全体や人格を否定する」といった異なった意味で使われている。
「キャンセルカルチャー」ということばに関連し、多様性や公正性を求める動きを保守派が否定することばが次々にアメリカでは生まれている。その代表格が「ウォークネスwokeness(意識の高さ)」である。多様性や公正性を求めることを「意識が高い」とし、保守派はこれを真っ向から否定する対象にしている。フロリダ州知事のデサンティスRon DeSantis(1978― )は「ウォークネスとの戦争War on Wokeness」を2022年の州知事選挙の最大の公約に掲げ、当選した。
また、日本でも1990年代に広く知られるようになった人種、宗教、性別、職業、年齢などに対して差別的な表現を避ける「政治的妥当性(ポリティカル・コレクトネスpolitical correctness:PC)」ということばも、アメリカでは保守派がリベラル派を否定することばとして使われることがほとんどとなっている。「ポリティカル・コレクトネス」ということばの使い方も日米で差があり、日本の場合には「過度に差別的な表現を避ける行為」として1990年代のアメリカで使用された意味で使われており、現在のアメリカの政治的な文脈からは離れて使用されている。
[前嶋和弘 2023年7月19日]
『前嶋和弘著『キャンセルカルチャー――アメリカ、貶めあう社会』(2022・小学館)』
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