椎名麟三(読み)シイナリンゾウ

デジタル大辞泉 「椎名麟三」の意味・読み・例文・類語

しいな‐りんぞう〔しひなリンザウ〕【椎名麟三】

[1911~1973]小説家兵庫の生まれ。本名、大坪昇。小説深夜の酒宴」により、戦後派作家として認められた。実存主義的作風を示し、のちキリスト教入信。他に「永遠なる序章」「自由の彼方で」「美しい女」など。

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精選版 日本国語大辞典 「椎名麟三」の意味・読み・例文・類語

しいな‐りんぞう【椎名麟三】

小説家。本名、大坪昇。実存主義的作風により、戦後派作家として重きをなした。代表作に「永遠なる序章」「自由の彼方で」など。明治四四~昭和四八年(一九一一‐七三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「椎名麟三」の意味・わかりやすい解説

椎名麟三
しいなりんぞう
(1911―1973)

小説家。明治44年10月1日、兵庫県飾磨(しかま)郡会左村(姫路市書写)に生まれる。本名大坪昇。父熊次、母みすの長男。幼少より貧窮のうちに育ち、15歳のとき家出。以後、果物屋の小僧出前持ち、見習いコックなど転々のすえ、18歳のとき宇治川電鉄(現山陽電鉄)に車掌見習いとして入社。やがて共産党員になるが、1931年(昭和6)に検挙され、2年近い獄中生活ののち出所。この間ニーチェ、キルケゴールなど実存主義の思想に触れ、その後38年、ドストエフスキーから決定的な影響を受け文学を志す。47年(昭和22)『深夜の酒宴』によって戦後文壇に登場。以後『重き流れのなかに』(1947)、『永遠なる序章』(1948)、『赤い孤独者』(1951)などの実存主義的作風は戦後文学の一時期を代表するものとなるが、50年キリスト教入信後は『邂逅(かいこう)』(1952)、『自由の彼方(かなた)で』(1953~54)、『美しい女』(1955)などにニヒリズムの超克を目ざす独自の宗教的作風を示した。その庶民的日常性と観念渾融(こんゆう)は、小説のみならず『蠍(さそり)を飼う女』(1960)ほか戯曲にも優れた成果をみせ、また『私の聖書物語』(1957)ほか多くのエッセイに独自の宗教観、文学観を示した。57年以後は心臓病との闘いが続き、『懲役人の告発』(1969)を最後の書下しの長編として、昭和48年3月28日、キリスト教作家としての62年に及ぶその真率なる生涯を閉じた。

[佐藤泰正]

『『椎名麟三全集』23巻・別巻1(1970~79・冬樹社)』『斎藤末弘著『椎名麟三の文学』(1980・桜楓社)』『佐藤泰正編著『鑑賞日本現代文学25 椎名麟三・遠藤周作』(1983・角川書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「椎名麟三」の意味・わかりやすい解説

椎名麟三 (しいなりんぞう)
生没年:1911-73(明治44-昭和48)

作家。兵庫県の生れ。本名大坪昇。幼少より貧窮のうちに育ち15歳のとき家出,以後果物屋の小僧,出前持ち,見習いコックなど転々の末,18歳のとき宇治川電鉄に入社。やがて共産党員になるが1931年に検挙され,2年近い獄中生活ののち出所。この間ニーチェ,キルケゴールなど実存主義の思想にふれ,その後38年,ドストエフスキーから決定的な影響を受けて文学にむかう。47年,戦後文学の記念碑的作品ともいうべき《深夜の酒宴》をもって登場。以後《重き流れのなかに》(1947),《永遠なる序章》(1948),《赤い孤独者》(1951)などの実存主義的作風は戦後文学の一時期を代表するものとなり,50年のキリスト教入信後は《邂逅》(1952),《自由の彼方で》(1953-54),《美しい女》(1955)などにニヒリズムの超克を目指す独自の宗教的作風を示した。その庶民的日常性と観念の渾融は小説のみならず,《蠍(さそり)を飼う女》(1960)ほかの戯曲にもすぐれた成果をみせたが,57年以後は心臓病との闘いが続き,《懲役人の告発》(1969)を最後の長編として,73年3月,キリスト教作家としての真率なる生涯を閉じた。
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百科事典マイペディア 「椎名麟三」の意味・わかりやすい解説

椎名麟三【しいなりんぞう】

小説家。本名大坪昇。兵庫県生れ。職を転々とした末,電鉄会社に入社,組合活動に情熱を傾け共産党員となった。検挙され,2年ほどの獄中生活ののち出所。ニーチェキルケゴールを耽読し,やがてドストエフスキーに心酔。戦後《深夜の酒宴》《重き流れのなかに》で認められ,代表的な戦後派作家となった。ほかに《永遠なる序章》《自由の彼方で》がある。
→関連項目赤岩栄五所平之助戦後派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「椎名麟三」の意味・わかりやすい解説

椎名麟三
しいなりんぞう

[生]1911.10.1. 姫路
[没]1973.3.28. 東京
小説家。本名,大坪昇。職業を転々とする下積みの青春時代を過した。敗戦後の現実を背景に人間存在や思想の意味を懐疑し,現代における生の可能性を問うという実存的なテーマの『深夜の酒宴』 (1947) ,『重き流れのなかに』 (47) でたちまち戦後派文学の代表作家と目された。死からの解放,極貧層との連帯感から生の肯定を主題とした『永遠なる序章』 (48) へと進み,キリスト教への接近を深めながら,『自由の彼方で』 (53~54) ,『美しい女』 (55) などの自伝的長編では平凡愚劣な現実を全体として強く肯定する態度を貫いて新境地を開いた。ほかに小説『深尾正治の手記』 (48) ,『罠と毒』 (60) ,戯曲『タンタロスの踊り』 (56) ,『蠍 (さそり) を飼う女』 (60) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「椎名麟三」の解説

椎名麟三 しいな-りんぞう

1911-1973 昭和時代後期の小説家。
明治44年10月1日生まれ。昭和4年宇治川電鉄乗務員となり,共産党に入党するが,のち転向。ドストエフスキーの影響をうけ,22年「深夜の酒宴」を発表。以後,実存主義的な作風の戦後派作家として活躍する。26年キリスト教に入信。30年「美しい女」で芸術選奨。ほかに「永遠なる序章」など。昭和48年3月28日死去。61歳。兵庫県出身。姫路中学中退。本名は大坪昇。
【格言など】自分は,瞬間々々に,死を生き,無意味を生活した(「永遠なる序章」)

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世界大百科事典(旧版)内の椎名麟三の言及

【赤岩栄】より

…愛媛県に生まれ東京神学社で高倉徳太郎に学び東京の上原教会牧師となる。第2次大戦後は授洗した作家椎名麟三と月刊誌《指》を刊行,教会制度批判,日曜学校・賛美歌の廃止などを通してキリスト教界に問題を提起した。日本共産党に入党する決意表明をした〈赤い牧師〉として有名になったが,神学的にも聖書の非神話化に共鳴し,《キリスト教脱出記》(1964)を著しキリスト教正統主義をラディカルに批判した。…

【キリスト教文学】より

…この系譜は昭和に入っては中原中也や太宰治の文学につながり,芥川における東方と西方の対立はその弟子堀辰雄を経て戦後の福永武彦や遠藤周作まで受け継がれてゆくこととなる。ただこれら大正から昭和にかけての文学者たちのほとんどがキリスト者ではなかったのに対して,戦後文学が椎名麟三,遠藤周作,曾野綾子,小川国夫をはじめ多くのキリスト者作家を生み出していることは注目すべきであろう。これは椎名におけるドストエフスキーや遠藤におけるF.モーリヤックの受容にもみられるように,大戦後の状況のなかで文学と宗教をめぐる問題が日本でも,ようやく存在論的視角を持ちはじめたことの証左でもあろう。…

※「椎名麟三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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